人と違うって言われるのが嫌…普通の人って思われたい人の心理
周囲の中で少し目立ってしまうと、特別視されて窮屈に感じてしまうことってありますよね。色眼鏡をかけた状態で自分を見られるというのは、居心地が悪いもの。でも、視点を変えると少し心が楽になることも少なくありません。そこで今回は、「人と違うって言われるのが嫌…普通の人って思われたい人の心理」をご紹介いたします。
■普通という感覚は完璧主義から生まれている
「普通」であるということは、人間関係のまさつが生じないという意味では安心材料と言えます。この心の動きを同調効果と言います。しかし、実はその普通という基準は、目指しているものの先には「完璧」主義が隠されています。周囲から求められる普通であることを完璧にこなそうとする結果、どんなに頑張ってもエネルギーがすり減っていく結果になってしまいます。そんなしんどい生き方をしないためには、自分への過小評価をやめて周囲への過大評価をやめることが大切です。周りの人たちは、自分が思うほど完璧ではありません。そんな人たちの基準に付き合っていると、いつまでも自分らしくあることができなくなってしまいます。
■人からどう思われるか過敏になり過ぎる=自意識過剰
普通であることを意識している人は、他人の目や他人の評価といった「人からどう思われているのか」を少なからず気にし過ぎているケースが多いと言えます。たしかに、どこかで他人の目を気にしているからこそ、周囲に配慮して行動することができるという面もあります。しかし、過剰に気にし過ぎると人に嫌われるのが怖くて、“普通の人”を頑張ってしまい辛くなります。これを心理学ではピグマリオン効果と言います。ただ、ここには落とし穴もあります。周囲の期待に応えるべく周りに合わせた結果、自分の才能や能力を押し殺し活かせなくなってしまうことも……。嫌われることを恐れるというのは、つまり自意識過剰でもあるため、ありのままの自分を見つめてみましょう。
■自分基準の軸を“自分”に置く
もしも自分自身が「すごい!」と思われたい人なら、他人基準で評価を気にしたり行動することをやめることです。反対に、普通でありたいなら他人基準で自分を測るといいでしょう。しかし、他者の基準はそのときのあなたへの評価によって変わる、うつろいやすいもの。相手基準で生きていると、フラフラと芯のない人間になってしまいます。そうなれば、普通を求めるあまりいつまでも他者に振りまわされるでしょう。そうならないためには、自分の軸を持ち素直になることが大切です。もし、自分の周りに叩いてくる人がいるようなら、適当にあしらって相手にしないのがベスト。自尊感情の置き場を、自分からの評価に切り替えれば周りに振り回されることもなくなるでしょう。
■普通であることの本当の勇気とは
アドラー心理学によると、「普通であるとは無能ではない。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などない。」と主張されています。また著書では「人と違うことに価値をおくのではなく、わたしであることに価値を置く。」とも。“普通”というものさしは、全体像が変われば大幅に変わる可能性を秘めています。例えば、偏差値50を普通と考えれば、偏差値の低い学校においては“優秀生”になりますし、偏差値の低い学校においては“劣等生”のレッテルを張られるかもしれません。つまり、関わる相手やグループによって普通の基準はまったく異なるものになる場合もあるのです。だからこそ、普通であることの本当の勇気とは、周りに合わせることではなく、普遍的な“自分”に価値を見出すことなのです。
おわりに
なぜ目立ったり才能のある人が、特別視されたり叩かれたりするのでしょうか。これは“出る杭は打たれる”という日本の社会構造や文化とも密接だと言えます。本来なら称賛されるべき特性であるにもかかわらず「調子に乗っている」とレッテルを張られるのは、その根底に「みんな平等であるべき」という間違った意識や「なんであの子だけ」という歪んだ劣等感が潜んでいるのです。でも、そこで自分を押し殺すのは勿体ないこと。才能を活かして打たれないまで伸びるのが“正解”なのです。(脇田尚揮)
認定心理士。Ameba公式No.1占い師として雑誌やTVなどに取り上げられ、テレビ東京「なないろ日和」にてレギュラーコーナー担当。また、自身が監修したアプリ 「マル見え心理テスト」はTBS 「王様のブランチ」 などでも紹介され、120万DL。著書『生まれた日はすべてを知っている。』(河出 書房新社)。
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