お雛様の正体が意外!ひな祭りの歴史と豆知識5つ
3月3日はひな祭り。おひな様を飾り、お供えをして食べて祝う女の子の節句です。金の屏風に真っ赤なひな壇、色とりどりの着物を着たひな人形たちは、見ているだけでうきうきする気分になりますよね!
そんなひな祭りの今日は、「化粧・女性・美意識」をキーワードに、幅広い研究活動を行っているポーラ文化研究所から教えていただいた、ひな祭りについての歴史や豆知識をご紹介します。
Contents
【1】ひな祭りの起源は、中国の行事と平安貴族の遊び
ひな祭りの起源は、中国から伝わった、3月の最初の日に身を清めて不浄を払う「上己(じょうし)の行事」と、平安貴族の「ひいな遊び」が結びつき、貴族の女の子たちが、御所(天皇が住むところ)を模した屋形に人形をならべ飾りつけて遊び、健康と厄除けを願った「上巳の節句」がはじまりといわれています。
江戸時代になると幕府により、年間の節目である「五節句」の中のひとつに「上巳の節句」が正式にさだめられ、重要な行事となって、現在のひな祭りの形になっていったそう。歴史が長いですね!
「桃の節句」という別名は、桃の木には邪気を祓う力があることから、といわれているそうです。
【2】お内裏さまとおひなさまは「天皇・皇后」!
上段のお内裏さまとおひな様は「天皇・皇后」になぞらえて作られており、天皇・皇后にお仕えする女官である三人官女、能楽をかなでる五人囃子が下段に飾られます。平安時代から続く、日本の文化を感じさせますね。
【3】一緒に飾られる「御道具」はおひなさまの嫁入り道具
ひな人形を飾るときには、人形の他にもタンスや御膳、重箱など、様々な道具が一緒に飾られています。あれは実は、おひな様の嫁入り道具。小道具は、実際に使われていた嫁入り道具を参考にして作られています。今見てもとてもかわいいです……!
【4】ひな人形の髪型は「おすべらかし」
ひな人形の髪型は、元は「大垂髪(おすべらかし)」という、江戸時代末期に、平安時代に主流だった「垂髪」に、京の町で流行していた「灯籠鬢(とうろうびん)」という大きく横に張った形を取り入れて結ったものでした。現在では横に張り出し、かもじ(添え髪や義髪)などを入れて、ボリュームアップした髪型を「おすべらかし」と呼ぶのが普通となっているそう。
女性の皇族が、伝統的な儀式に参列する際に、十二単と共に礼装とするほか、一般の女性でも、結婚式の際にこの髪型にすることがあります。平安時代からの流れを汲んでいるひな人形の髪型は、日本の由緒ある髪型といえるでしょう。
【5】江戸時代のひな祭りはとっても華やか!
「上巳の節句」が重要な行事として定められた江戸時代には、江戸城大奥で、華やかなひな祭りが繰り広げられていたようです。
御殿女中の聞き書き(『千代田城大奥』1893年)によると、まずおひな様係り8人が任命され、12段飾り(!)のひな人形を飾ります。お祝いは3月1日から4日まで続き、お供えは、さざえ、蛤、蒸し餅、白酒、お菓子……などなど、縁起物が多方面からたくさん献上され、毎日違うものが供えられるという豪華なものでした。
3日の午後には、白酒、御料理が上級のお女中に配られ、夜には音楽もあり賑やかに祝ったそうです。上級のお女中は華麗な衣装を着飾り、さらに、将軍の妻である御台所は、午前と午後で別の髪型に結い直し、衣装も着替えるというしきたりでした。気合の入れようが半端ありません……!
【まとめ】
いかがでしたか? 行事の背景や歴史を知ると、より行事を楽しむことができますね。皆さん、楽しいひな祭りを♪(たきたて玄米)
情報提供元:ポーラ文化研究所
参考文献:ポーラ文化研究所 化粧文化史Q&A「江戸時代の雛祭りはどんなでしたか?」
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