日本人の心のふるさと、原風景は奈良にあり!

自然のことごとくに神を見いだし、外来文化の仏教と出合い“神仏習合(しんぶつしゅうごう)”という新しい祈りの形を作り出した日本人。その出発点は「奈良」にありました。

『和樂』8・9月号の大特集「ニッポンの原風景を歩く!」のひとつとして、歌人・馬場あき子さんと「奈良」の地を訪ね、日本人の原風景を見つける旅に出かけています。

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樹木、海、山、湖、草花……あらゆる自然の内に、神聖なるものを感じてきた古来以来の日本人ですが、その自然を切り拓き、変化させてきたのもまた同じ人間。

「人の手を経ない山林は、もはやこの国にはあまり残されていません。そういう、手つかずの自然を私たちは“原風景”と呼ぶ。だとするならば原風景というのは、本来、どこにでもあるはずだったもの。けれど、大きな意味で私たち日本人にとっての“心の原風景”というとき、やはりそれは奈良へとたどりつくように思えるのです」と、馬場さんは言います。

数年前、古代の奈良を舞台にした新作能を書きおろすにあたって、奈良の地を訪れた馬場さんは、春から夏へと移りゆく季節のなか、新緑が深まる春日山原始林を歩き、そこに“原風景”を見たのだとか。

そこには、千年以上にわたって狩猟や樹木の伐採が禁じられてきた森林が広がり、イチイガシやシラカシなどの照葉樹木を中心に、170種類以上の樹木と約60種類にもおよぶ草本植物が自生。1998年には「古都奈良の文化財」としてユネスコの世界遺産にも登録されています。

「こういう神宿る深い自然があって、その麓に仏の都が広がっている。それが、今日も奈良が日本人にとっての“特別な心のふるさと”としてありつづける理由といえるのではないでしょうか」(馬場さん)

大自然を目の当たりにすると、空気が透き通っているような清々しさを感じると同時に、どこか“懐かしさ”を覚えることがあります。初めて訪れた場所であってもそう感じるのは、日本人としての本能なのかもしれませんね。

710年に奈良に都が移される以前は、国家の基盤がつくり上げられていく激動の時代です。聖徳太子が推古天皇の摂政を務め、冠位十二階を定めて遣隋使を送り出す一方で、蘇我氏と物部氏の対立、大化の改新、壬申の乱……と、血で血を洗うような国の内外での戦いが絶えず、都も転々と遷都を繰り返していました。

「そういう時代を経て、奈良に平城京が築かれます。やがて聖武天皇の発願で大仏がつくられ、天皇は神の末裔(まつえい)であるとする神話の思想と、仏教による鎮護国家や人心の救済という願いが、ひとつに溶け合っていきました。神なる自然を見ながら仏に南無と手を合わす─神仏習合という新たな祈りの姿の誕生です」(馬場さん)

 

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律令国家としての平穏を歩み出した奈良の都。ここを出発点に、現代を生きる私たちへとつながる“心の原風景”が形づくられていったのだとか。

ニッポン人の原風景のすべてがある、と言える奈良。ぜひそんな「心のふるさと」である奈良へ、ゆっくりと旅してみたいものですね。(さとうのりこ)

馬場あき子(ばばあきこ)/1928年東京生まれ。歌人。短歌結社「かりん」を主宰。歌人として第一線で活躍を続ける一方、能や古典文学、民俗学への造詣も深い。著書に『鬼の研究』、『日本の恋の歌』ほか。歌集『葡ぶ萄どう唐から草く さ』(迢空賞受賞)、同『阿あ古こ父ぶ』(読売文学賞受賞)などの著作で、毎日芸術賞、朝日賞、紫式部賞など受賞多数。紫綬褒章受章。日本藝術院会員。朝日新聞歌壇選者。

和樂2014年8-9月号

(『和樂』2014年8・9月号)

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