『もう二度と食べることのない果実の味を』第9話

17歳で「女による女のためのR-18文学賞」で鮮烈なデビューを飾った作家・雛倉さりえさんの最新作『もう二度と食べることのない果実の味を』(通称:たべかじ)が4月16日に刊行されました。CanCam.jpでは大型試し読み連載を配信。危険な遊びへ身を投じたふたりの運命、そして待ち受ける結末とは……。

「どうしたの、冴」

 ふりかえって、彼女が笑う。わたしは「なんでもない」と目を逸らし、足を踏み出した。

 

 

 

「もうむり、おなかいっぱい」

 ウッドデッキに寝ころんだ瑞枝が、うっとりとつぶやく。隣の真帆も、満足そうにうなずいた。

 焦げた肉の載ったコンロが、夕陽を浴びて鈍くひかっている。

 用意してあった大量の肉と野菜をすべて平らげたあと、みんなはおもいおもいのかっこうでくつろいでいた。瑞枝と真帆はデッキの上。両親は芝生のガーデンチェア。わたしはオリーブの木のそばで、ひとり坐っている。

「瑞枝さん、そのアイシャドウどこの? すごくきれい」

 真帆の声に、瑞枝はゆっくりと体を起こした。

「これ? 限定色なの。こないだ百貨店で買ったんだけどね」

 伏せられた瞼は、離れたところから見ると、仄かにいろづいた花びらそのものだった。ながい睫毛に、高い鼻梁。ととのった横顔が、夕暮れのひかりのなかに浮かびあがっている。

 九つ離れた姉とわたしは、全く似ていない。子どもの頃から瑞枝は頭ひとつ抜けた美人だったし、なにより、とても頭がよかった。滑り止めもなしにトップレベルの私立高校に合格したあとは、県立大学の経済学部に進学した。卒業後は教科書製作の会社に就職し、いまは東京で働いている。

「あ、そうだ。見て見て。先月、恋人の昇進お祝いでバリに行ってきたの」

 瑞枝は言いながら、最新のiPhoneを取りだした。てのひら大の硝子の板に、ふっと写真が映しだされる。あざやかなコバルトブルーの海を背景に、花柄のワンピースを着た姉と、背の高い黒髪の男性が並んでいた。いいなあ、と真帆が歓声をあげる。

「瑞枝さん、付き合って何年目だっけ?」
「えっと、大学二年生からだから、五年目かな」

 桜いろのジェルネイルがほどこされた指先で、瑞枝はどんどん画面をなぞってゆく。カラフルな原色の花々、広大なプール、ナシゴレン。写真集から切り取ってきたような南国の景色の端々に、瑞枝の笑顔がはさみこまれている。

 いっしょにスマートフォンを覗きこんでいた父が、口をひらいた。

「それで、式はいつごろの予定だ?」
「お父さん、前から言ってるじゃん。来年の夏までには挙げるつもり。二十五歳になるまでに、子どもも産みたいし」

 お母さんなんてもう靴下つくってくれてるんだよね、と瑞枝が言うと、母は照れたように頬をゆるめた。

「そうよ。今は五足目を編んでいるところ」
「もう、お母さんはりきりすぎ」
「名前の候補はきまってるの?」

 盛りあがる皆の髪を、涼しい風がふわりと巻きあげてゆく。真夏の夕暮れの陽ざしが、草花の生い茂った庭にやわらかく降りそそいでいた。景色は淡い琥珀色に染まり、葉先にたまったひかりをそよ風がきらきらと散らしてゆく。

 姉の目に、世界はどんなふうに映っているんだろう。乾いていて、あかるくて、花とみどりの香りがする、地上の世界。正しくうつくしい人々が棲む、すこやかな光の国。

 両親も真帆も、楽しそうに瑞枝を囲んでいる。わたしがその輪にまざっていないことには、気づかないまま。

 遠い異国の風景を眺めるように、わたしは幸福そうに笑う四人をみつめつづけた。

 

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『たべかじ』連載一覧

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雛倉さりえ

1995年滋賀生まれ。近畿大学文芸学部卒。
早稲田大学文学研究科在学中。
第11回「女による女のためのR-18文学賞」に16歳の時に応募した『ジェリー・フィッシュ』でデビュー。のちに映画化。
最新作に『ジゼルの叫び』がある。

 

写真:岩倉しおり

本作はきららに連載されていた『砕けて沈む』の改題です。
本作品はフィクションであり、実在する人物・団体等とは一切関係ありません。
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(c)Sarie Hinakura・小学館

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