林真理子が語るバブルと令和「スチュワーデスがCAになってすべてが変わった」
小説家・エッセイストとして時代ごとの女性の感性を捉えてきた林真理子先生が、小説家を志すきっかけになった名作『風と共に去りぬ』を大胆にアレンジした『私はスカーレット』を刊行。
この記事ではその『私はスカーレット』のことを中心に伺うはずが……インタビューは脱線に次ぐ脱線。作中では裕福な若者たちの燃え上がるように豪快な恋愛が描かれますが、今の世代にとってはいまいち感情移入しにくいもの。そんな令和の若者に対して感じていることを、先生が体験したバブル時代と比較しながら赤裸々に語ってくださいました。それにしても伏せ字が! 多すぎる!
■『風と共に去りぬ』はバブルに似ている?
――『私はスカーレット』は、『風と共に去りぬ』をヒロインのスカーレット・オハラによる一人称小説として再構築した作品です。
林真理子先生(以下:林):スカーレットは街で評判の美人。でもまったくおしとやかじゃないんですね。男の人にちやほやされるのが大好きだし、好きな人を振り向かせるためには執念を見せるけど、興味のない人には本当に冷淡。当てつけのために好きでもない人と結婚したりもして、とことん恋愛に生きた人です。今の若い人からすると「ドン引き」って感じですよね(笑)。
――舞台は南北戦争時代のアメリカ南部。黒人奴隷の犠牲の上に成り立っていたものではあるけれど、登場人物たちはみんな優雅な生活をめいっぱい享受しています。
林:私は子供の頃に「3人の男と結婚した女性の物語」みたいな帯のついたこの本を手に取って、「なんだかつまんなさそうだな」と思いながら読みはじめたんですけど、寝食も勉強も忘れて読みふけって、この華やかな世界の虜になりましたよ。
私がこの本と出会った頃、ちょうど甲府の映画館でリバイバル上映があったので観にいったんです。号泣しました。スクリーンに映る燃え上がるような恋愛、華やかな暮らしを見ていると、私はなんでこんなつまんない山梨の田舎の女の子として生まれてきちゃったんだろうって悲しくなっちゃって。
――本当に栄華を極めた時代というか、日本で言うバブル時代のような。
林:ああ、近しいところはあると思いますよ! それこそCanCamが創刊された頃がそうだったかな。女子大生ブームなんて言ってね、女子大生ってものが価値づけされて、今と比べ物にならないくらいもてはやされた時代があったんです。人気の子を広告代理店の人が連れ回して、たっぷりお金をかけて企画を打って、その何倍もの大きなお金を動かして、好き放題やってね。
――今でいう読者モデルに近い存在なのかなと思いました。
林:当時からそういう子はいましたよ。そもそも昔は女子大生ってものの数が少なかったので希少価値があったんですよ。私が大学生の頃は短大生を入れて3割くらいだったんですから。
あの頃ってすごくて、例えば◯◯社(自主規制)の社員が飲みいこうって女子大生の子たちを呼ぶわけです。もちろん変なことは何もされずに帰るんだけど、そのときのタクシー代が1人5万円とか。
――5万円……! それって今「ギャラ飲み」と呼ばれたりするやつかもしれません。
林:そうなるのかな? ともあれ、それくらいは渡される時代だったんです。
でも今は随分変わって、最近私が聞いた話だと◯◯社(自主規制)の◯◯さん(自主規制)っているでしょ、有名な。あの人でも、タクシー代4人で1万円だって。
――令和の感覚で言うと、それでも太っ腹だと思う子が大半かなという感じですが……
林:そうなんですよねえ。あと、私が大学に入った頃からブランド物がブームになってね。私みたいなのは関係なかったけど、女子大のお嬢様なんかはみんなセリーヌやグッチのバッグを提げて大学に通ってた。
特に◯◯大(自主規制)みたいな女子大の、幼稚園から大学までエスカレーターで内部進学した子を「スーパー内部」って言うんだけど。今でも言うのかな? そういう子は強いんです。引く手あまたでちやほやされた。いいバッグを持っててね。
でも、最近では幼稚園や初等部からあるような女子大の子も、受験勉強して大学は別のところに行く子が増えてるって聞きます。女子大ブームが落ち着いちゃったんだろうなと思いますよ。
『私はスカーレット』の主人公のスカーレットも「スーパー内部」的な環境で育った生粋のお嬢様と言えます。
■子供の言い分を聞いてやりたい
――『私はスカーレット』は、三人称視点で書かれた『風と共に去りぬ』をスカーレットの一人称で書き換えていて、スカーレットの強い自我がさらにブーストされたような印象を受けます。それは意図していたんでしょうか?
林:そうですね、スカーレットってすごく、世間の人に嫌われてるというか(笑)。思いっきりわがままで自分勝手な人ですからね。でも忘れちゃいけないのは、物語が始まった時点でまだ16歳の子供だってこと。もちろん苛烈なところはあるキャラクターだけどまだ子供なんだから、「彼女の言い分をちゃんと聞いてやろう」と思って一人称にしたというのが大きいかな。
とにかく私はもっとこの作品を世の人に読んでほしいんですよ。
戦後から昭和40年代くらいまでは『風と共に去りぬ』って日本人女性の必読書ってくらいに好まれていたと思ってるんですけど、最近読まないでしょ?
――そうですね、最近だともっと、東野圭吾さんとか伊坂幸太郎さんとか、村上春樹さんとか。
林:そうですよねえ。でも、本当にすてきな作品なんですよ。一人称にした以外にも現代の人に合うように考えてアレンジしてるから、読みやすくなったはずです。
例えば、スカーレットの恋愛についての心理描写の中には、今の感覚だと年の割にちょっと大人びすぎているような部分もありました。そういうところを少し年相応に子供らしくしたり、あと南軍の勝利を妄信しているような描写は少し控えて、懐疑的な物腰にするとか。戦争にまつわるシーン自体、必要最低限の描写を残して短くまとめてます。
■若者へのメッセージは……「ない」!
――冒頭で先生ご自身がおっしゃったように、今はスカーレットのように猛烈に恋愛する人は少ない時代ではないのかなと感じます。
林:ねー! そうみたいですねえ。もっとしたらいいのにって思っちゃうんですけどね。
――若者全員の総意なんてものは存在しないものの、やっぱり時代性はあると思うんですが、こういった時代の移り変わりを感じたのはいつ、どんなときでしたか?
林:そうですね、CAってものが以前ほどもてはやされなくなったのは大きいと思います。ちょうど名前が「スチュワーデス」から「CA」に変わった頃、すべてが変わったというか。
もちろん学業成績が優秀な方しか選考に進めないものではありつつも、見た目の美しさが職能として活かされる、恋愛市場でもちやほやされるような職業の人気が、この10年くらいで急落したような気がして。テレビマンの知人も「女性アナウンサーの志願者が年々減ってきてる」と嘆いてました。
――ルッキズムに対する反発の影響もあるかもしれません。もちろん以前から純粋に仕事内容に魅力を感じてCAやアナウンサーのお仕事を選ぶ方が大半だとは思いますが、こういった現状を先生としてはどう感じられますか?
林:すごくいいことだと思いますよ! 今って頭がよくて美人な子ってどこへ行くんだろうなと思ってたんですけど、どうやら金融系とか弁護士さん、官僚とか、手堅いところへいくようになったって聞きます。容姿を問われるような職に就かなくなってきている。
バブルの頃は美人で若くて、おまけに女子大出てればもうなんだってできたけど、今はそんな社会じゃないですもんね。今の人はもっとちゃんと体力をつけることを怠らず、地に足ついた選択をしてる人が多い。
そうそう、そういうふうに今の女性はせっかく素敵なんだから、恋愛して結婚して、子供を産んでそういう価値観を受け継いでいけばいいのに、と私は思っちゃうわけなんです(笑)。
――では、今日の結論としては、「もっと恋愛していこう! 結婚して子供を!」という感じ……?
林:いえいえ、そんな時代じゃないんだろうというのはわかってますからね。
それにまあ、言ったってやらないでしょう。私、大学3年の娘がいるんですけどね。ちょうどCanCamを読むような世代ですね。もう全然言うことなんて聞かないですから。
私は娘が今どんな夢を持ってるのか知りませんけど、彼女なりにいろいろ考えてるみたいなんです。よくわからないけど、やってみなきゃしょうがないから好きにやらせてますよ。失敗するかもだけど、それは自分の人生。
「もっと勉強すれば?」「もっと本読めば?」って言いたくなるときもあるけど、まあ聞きはしないです。自分の子供がこんな感じなんだから、他所様の子供にどうしろこうしろなんて言う気にはならないですね。
――なるほど、素敵です……。
林:そもそもね、こんな大変な世の中で、体調の許す限りがんばって学校に通って、就職先が見つかってないにしても働く意思があるというだけで充分立派だと思うんですよ。それだけで90点いただいていいはず。残りの10点は自分次第で、という感じかな。だから若い人へのメッセージは……「ない」です!(笑)
元気の出るメッセージをくださった林真理子先生の新刊『私はスカーレット』は好評発売中です! スカーレットや上の世代の方の生き様を真似するのは難しくても、刺激をもらってそれぞれ自分にとって最適だと思う道を進んでいけたら素敵ですね。(霧崎まい)
小説家・エッセイスト。1954年4月1日、山梨県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。コピーライターを経て、1982年にエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を出版。数々の作品を世に送り出す。2018年に紫綬褒章を受章。2019年11月5日に『私はスカーレット』第1巻が発売された。