誰もが「ダルちゃん」にも「杉田さん」にもなりうる
矢部 『ダルちゃん』は、読んでいる誰もが「自分の中にもこういうところがあるな」と思えるんじゃないかと思います。かくいう僕もそれは感じました。
はるな それはどんな部分?
矢部 僕は杉田さんのくだりを読んで感じました。杉田さんは気弱そうに見える女性であるダルちゃんに対してですけど、僕は後輩に対して、偉そうに喋っちゃったりとかしてるなって。
※杉田さん:ダルちゃんに高圧的なアプローチをしかける同僚の男性。
はるな なるほど。ちなみに、杉田さんには特定のモデルがいないんです。人というよりは、状態だと思っていて。誰しもそうなるっていうことを描きたかった。
矢部 はああ、なるほど。
はるな みんなでそういう状況を客観的に見ることで、そこに陥りにくくなるってことがあると思うんです。私はそれを漫画でやりたかった。
矢部 ああ……。例えば、先輩芸人が杉田さん、僕がダルちゃんの立場になる。でもその数分後に、僕が杉田さん、後輩がダルちゃんになってしまっている、というときがこれまでにあったと思います。
はるな でも、みんなが矢部さんみたいに、自分に照らし合わせて読んでくれるとは限らないなとも思っていて。絶対に自分に反映させない人もいる。自分と関係ないものとして読むほうが楽ですしね。
矢部 そうなんですね。みんな自然と自分に照らし合わせて読むと思っていました。
はるな 矢部さんはとても誠実に読んでくださっていて、うれしいです。そうできる矢部さんは、ちゃんと自分と向き合える強さをお持ちなんだと思います。
「普通」なんてない、けど
取材の最後に、『ダルちゃん』で描かれた「普通」という概念に窮屈さを感じている人に対して、おふたりからメッセージをいただきました。
はるな 2巻の最後のほうで書いたことですけど、私は「普通の人」っていないと思っているんです。みんなどこかしら「普通」じゃない部分を持っている。でも、とはいえ社会性みたいなものはないとあなたが困るよね、ということも同時に思っていて。
「ダルダル」と「擬態」、どっちも必要で、バランスが大事。そのバランスはそれぞれ違うけど、自分が納得しているところにチューニングできていますか? というか。
自分で自分に納得しているかが大事。『ダルちゃん』で描きたかったのは、「あなたは自分に納得していますか?」という一言に尽きると思います。
杉田さんとのホテルのくだりは、「自分で自分を裏切っている人」の描写。自分の腹の底から湧き上がる声を無視しないでほしい、と思いながら描きました。
矢部 「普通」がないっていうのは僕も思います。1人ひとり違うものがひとつになることはない。「普通」に具体的な形があるとしたら、法律が一番近いかもしれないけど、逆にそれ以上のものはないんじゃないかなと思います。法律の範囲内で、「それぞれの普通」を尊重しあうのが一番大事かなと思いますね。
取材・構成:渡辺雅史