1日50軒の飛び込み営業
新人の仕事は、インターネット回線の契約を取る営業だった。
「マンション住宅や住宅街を端から一軒ずつピンポンしていって、インターネットの高速回線は必要ないですか? って営業する。飛び込み営業です。もう使ってますという家庭には、うちに乗り換えませんか? と案内する。1日40〜50軒、いやそれ以上は飛び込みました。昼間は留守が多いから、平日は夜の帰宅後を狙って、ひたすらインターホンを押す。
ジャマだと怒鳴られることはしょっちゅうだし、警察を呼ばれそうになったこともありました。怖かったのは、男性に手をつかまれて家に引き込まれそうになったこと。ほんと、怖かった。
でもそれ以上に辛かったのは、終電で帰って、また朝6時台の電車に乗って出勤するという長距離通勤。電車の中は貴重な睡眠時間でした。でも、二子玉川から越すつもりはありませんでした」
桜子は、仕事に手を抜くこともなかった。飛び込み先でバタンとドアを閉められても、文句を言わず、きちんと挨拶をしてから帰る。すぐ契約につながらなかったとしても、お客さまの相談を親身に聞いて、時間をかけて関係を築く。一度会った人には、電車でも街中でも、必ず丁寧にあいさつする。いつしか、「一度会った人の顔と名前は忘れない」が桜子の特技になっていた。
今思えば、宅配業者も顔負けの運動量だ。それでも桜子は、いつも5センチ以上のパンプスを履いて、メイクだって省略することは絶対にない。それをやめてしまったら、本社に行ける可能性までなくなってしまいそうな気がしたから。そして機会あるごとに、「本社に行かせて欲しい」と言い続けていた。
そのころ付き合っていたのは、学生のときにバイト先で知り合った、建築関係会社勤務のサトル・27歳。桜子が大学4年からの付き合いで、年上ならではの優しさと包容力があって、甘えられる存在だった。社会人になりたてのころは、飛び込み営業の辛さを話してよく泣きついたものだ。やがてふたりの時間が合わなくなってきたので、二子玉川のマンションの合鍵を渡し、桜子の部屋で会うようになっていった。
「けれど、飛び込み先で怒鳴られて、長距離電車に揺られて、ヘトヘトで帰って来たとき、自分の部屋で寝転がってるサトルがいることに、イライラするようになってしまって。私のほうが先に出かけて遅く帰って来るという毎日。最初は、サトルの胸でひとしきり泣いて、ぎゅっとしてもらって復活していたけれど、今は泣く時間があるなら睡眠時間や自分磨きにあてたい。年上で包容力あるサトルに魅力を感じていたのに、これでは、なんかちょっと違う…。
ある週末、サトルに『うちのカギを返して欲しい』と言って、お別れを告げました。そしたら、それっきり来なくなって。でも少しして、新しい彼ができたので、引きずることはありませんでした」
サトルと別れたころから、桜子は少しずつ自分の「タフさ」みたいなものを、意識するようになった。別れたら、気持ちをまぎらわすかのように、飛び込み営業をだれより多くやる。飛び込み先で怒鳴られても、5分後には気を取り直して、次のインターホンを押している。泣くために男に胸を借りるくらいなら、泣かないようにすればいい。その代わり、桜子のチームの売上げ成績が表彰されたときは、思い切りうれし涙を流した。
「時間ができたら、ジムに通って筋肉つけようかな。そうしたら、もっとメンタルが強くなるのかな」
2年間の飛び込み営業生活で、ふくらはぎだけは立派な筋肉が仕上がっていた。そろそろ、全身バランスよく筋肉をつけたいと思い始めていた。
※Vol.2 「仕事をしていてやってきた、人生でいちばんうれしい瞬間」に続く。
Vol.1 キラキラOLのはずが、飛び込み営業マンに
Vol.2 仕事をしていてやってきた、人生でいちばんうれしい瞬間
Vol.3 頑張る女子が、男よりもマラソンにハマる理由
Vol.4 今どき「がむしゃら」はカッコ悪い。31歳が選んだ「カッコいい」働き方
「CanCam」や「AneCan」、「Oggi」「cafeglobe」など、数々の女性誌やライフスタイル媒体、単行本などを手がけるエディター&ライター。20数年にわたり年間100人以上の女性と実際に会い、きめ細やかな取材を重ねてきた彼女が今注目しているのが、「ゆとり世代以上、ぎりぎりミレニアル世代の女性たち」。そんな彼女たちの生き方・価値観にフォーカスしたルポルタージュ。
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