卒業式の定番スタイルである「袴」。日本の伝統的な服装ですが、いつごろから着られるようになったか、また、なぜ卒業式に着られるようになったかご存知ですか?
「化粧・女性・美意識」をキーワードに、幅広い研究活動を行っているポーラ文化研究所から教えていただいた「袴」の豆知識をご紹介します♪
◆袴の起源はなんと古墳時代。女子学生が着るようになったのは明治時代
袴の起源はとても古く、男性の服装としては、すでに古墳時代には存在していたそう。奈良、平安時代には貴族階級の礼装として取り入れられ、正式な場での着用は江戸時代まで続いています。
今のように、女子学生が袴をはくようになったのは明治のはじめ頃。ただし、明治初期に女学校に通っていた生徒たちは、男性用とされる袴をはいていました。
当時は、袴は男性用とされており、宮中以外の女性が身につけることはなかったのです。今では女性の服装としてなじみの深い袴なのに、驚きですね……!
◆上流階級が通う「女学校の制服」に採用されたのが、全国的普及のきっかけ
女学生の制服が本格的に袴に変わっていったのは、今から約130年前の1889(明治22)年頃。学習院女子部の前身である「華族女学校」創設者の下田歌子によって、新しい形の袴が考案されました。股が左右に分かれていない、すとんとしたロングスカート式で「 行灯袴(あんどんばかま)」「女袴」と呼ばれました。
華族女学校をはじめとした、宮中や大奥にゆかりのある「上流階級の子女が通う学校の制服」として導入され、次第に一般の女学校に広まり、袴=女学生のイメージが定着していったのです。
◆袴は「優雅」なのに「動きやすい」!
それにしても、なぜ「袴」が制服として普及していったのでしょうか? それは、袴が「優美さ」と「機能性」を兼ね備えた服装だったからなんです!
平安時代には、宮中の高貴な女性のみが袴を着ることができたという歴史もあり、明治時代でもすでに、袴には貴族的なイメージがありました。また、昔ながらの着物に帯というスタイルでは、帯や裾が乱れやすく、学業や運動に支障をきたしていました。
そこで脚さばきなどの点で、着物よりもはるかに動きやすい袴が採用されたのです。行灯袴は自転車に乗っても裾が乱れないことも、当時としては画期的でした。
◆明治・大正の袴トレンドは、大きなリボンと海老茶色の袴。新しい時代の象徴だった
明治30年当時の女学生スタイルは、海老茶色の袴、革靴、庇(ひさし)髪に大きなリボン、または花をつけたものが流行していたそう。また、腰ひもを胸高にしめたり、裾を短く最新流行のブーツを見せたり、自分でおしゃれにアレンジできる楽しさもありました。
活動的で生き生きとした袴姿の女性たちは、平安時代の女流文学者の紫式部と海老茶袴をかけて「海老茶式部」と呼ばれることもありました。雑誌のグラビアにとりあげられるなど、憧れの対象として多くの女性たちから注目を浴びる存在となっていたのです。
大正、昭和と時代が流れるうちに、制服はセーラー服などに変わっていき、袴は日常社会からは姿を消しました。しかしながら歴史があり、優美な袴は、学校の正式な行事である卒業式の礼装として残り、現代でも根強く支持されています。
日本の伝統的な服装であり、新しい時代を生きる女性の象徴だった「袴」。歴史をひもといてみると、少し違う視点から袴を見ることができそうです。(たきたて玄米)
情報提供元:ポーラ文化研究所
参考文献:
化粧文化Q&A「女子学生が袴をはくようになったのは、いつ頃ですか?」
季節のおしゃれの豆知識「袴 スポーツもOK!女学生の尖端スタイル」
(いずれもポーラ文化研究所)
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