約750年前に中国からもたらされた味噌を発祥とするしょう油。紀伊半島の西海岸、和歌山県の中央部、“紀中(きちゅう)”と呼ばれるエリア、湯浅(ゆあさ)、御坊(ごぼう)で発展し、湯浅の港から魚介の荷とともに各地へ運ばれて行きました。
さらに、新たな漁場を求めた房総の銚子や野田にしょう油職人も移り住んだため、しょう油づくりは日本各地に広まったのだそう。
■“しょう油の生みの親”は「由良(ゆら)」の興国寺
高野山で密教を学び、各地で禅の修行に励んだのちの1249年、中国の層へ渡った、由良町の「興国寺(こうこくじ)」の覚心(かくしん)禅師。
この高僧が修行中に覚えた味噌づくりを興国寺でも、夏場、豊富に採れる瓜やナスなどを味噌に漬け込み、その製造過程で発生する野菜から出た“褐色”の水分こそが「しょう油」の始まり。
それまで捨てられていたものを、あるときなめてみたら美味いということに気がついたそうですが、それを知らずにいたら……と考えると、このひとなめが大きな発見だったことがわかります。
■江戸時代の町並みが残る「湯浅」がしょう油を全国へ
中国からもたらされた味噌づくりの副産物として生まれたしょう油ですが、全国へ広めたのは「湯浅」。
歴史を感じさせる建物がいまも残る街並みは、江戸時代には、92ものしょう油屋が軒を連ねていたのだとか。町内人口が1,000人という時代なので、これは驚くべき数字。
しょう油が発展した理由は、山田川水系の水がしょう油づくりに適していたことと、種類豊富な魚介を各地へと運ぶ廻船業が盛んだったため。職人気質のものづくりと商売の両立が、しょう油を日本の味として定着させたというわけです。
■歴史ロマンが香る「御坊(ごぼう)」は街散策も楽しみ
味噌を発祥とするしょう油の製造には、ミネラル分の多い水が適していると言われています。そのため、由良町北の湯浅がしょう油づくりでにぎわったのですが、南の「御坊」もまた、味噌とともにしょう油づくりで沸いた町のひとつ。
御坊には、元禄年間(1688~1704年)創業の老舗『堀川屋野村(ほりかわやのむら)』が、いまなお土地の味を守り続けています。
紀州徳川家の荷を運ぶ廻船問屋だった先祖が、江戸への手土産用につくっていたしょう油やみそづくりが本業になったそう。
現在もしょう油や、味噌、酒などの醸造業が残るエリアは、和の伝統建築と洋の意匠が溶け合う歴史ロマンが香る町です。
豊かな森林資源や海産物の恵みをたたえた和歌山県。最近では、大河ドラマ『真田丸』の舞台になるなど、人気の国内旅行スポットに。
日本の食の原点でもあるこのエリアに、美味しい旅に出かけてみては?(さとうのりこ)
『和樂』2016年4・5月号(小学館)
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