「5年、住むことが許されなかった町」福島県南相馬市・小高に移住したガラス職人の話

花王が特別協賛する「ネクストとうほくアクション」という、東北のみなさんとともに未来を考え、未来につながる活動を支援していく取り組みをご存知ですか?今回はその一環で、現地に縁が深い大学生とともに、CanCamがピックアップした東北の素敵な企業を紹介するプチ連載をお届けしています。

第1回はCanCam専属モデルの佐々木莉佳子が地元・宮城県気仙沼市の「インディゴ気仙沼」を、第2回は「地元の人に愛されるクラフトビール」を作り続けるベアレン醸造所に訪問。

ラストとなる本日は、福島県・南相馬市小高地区へ。この地域は、福島第一原発から20km圏内にあたり、2011年4月に警戒区域に指定されたことで約13,000人の全住民が避難を余儀なくされ、立ち入りができなくなった場所。2016年の指定解除まで、5年4か月もの間、住むことが許されなかった町です。

その「一度ゼロになった地」で、「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」というミッションを掲げ、2014年に創業したのが「小高ワーカーズベース」。コワーキングスペース、食堂や仮設スーパーをオープン。2015年には若い世代や女性が働くための魅力的な職場を作るべくガラス工房を設立、さらには数々の起業家たちの支援をしながら、ゼロから町づくりを行ってきた、小高に欠かせない存在です。

小高ワーカーズベースの基地・小高パイオニアヴィレッジ。印象的な大きなひな壇、テーブル席、スタンド席と、多様な作業スペースがあり宿泊可能なコワーキングスペース。思い思いの場所で作業しながら穏やかにつながっている、心地いい空間。

小高ワーカーズベースの創業者・和田智行さんと、併設されたガラス工房「アトリエiriser-イリゼ-」でランプワーカー(ガラス職人)として働く、清田翔衣(うい)さんのお話を、福島で生まれ育った大学生の平田凛さんとともにうかがいました。

▼今回お話をするのは…

左:アトリエiriser-イリゼ- ランプワーカー 清田翔衣さん(通称:ういさん)
新潟県出身。富山のガラス専門学校を経て、Instagramでアトリエiriserの存在を知り、小高に移住。ランプワーカー(ガラス職人)として日々ハンドメイドガラス製品を作る。

中:株式会社小高ワーカーズベース 代表取締役 和田智行さん
福島県南相馬市小高地区出身。エンジニア・プログラマーを経て、東京でITベンチャー企業を立ち上げる。2014年に避難指示区域内で小高ワーカーズベースを創業。

右:福島学院大学短期大学部情報ビジネス学科 平田凛さん
福島県福島市で生まれ育つ。花王が福島で開催する地方創生イベントに積極的に参加するなど、福島を盛り上げることに興味津々。

「ゼロになった町」小高で、もう一度暮らすために

―本日はよろしくお願いします。まず改めて、和田さんはずっと小高で生まれ育ったんですよね。

和田さん そうです、僕は小高で生まれ育ち、家業が織物屋だったんですが、いつかは戻って継ぐつもりで「一度東京に行って社会勉強をしよう」と上京しました。ただ、就職氷河期世代でまったく就職ができず。2万人規模の会社で最終面接に残っても「3人のうち、採用されるのは1人」…そんな世代で、「あぁ、これは無理ゲーだ」と(笑)。仕事をどうしようか悩んでいたとき、当時はインターネットが一般家庭に普及し始めていた頃だったので「インターネットとやらのスキルを身につければ田舎に戻っても食えるんじゃないか」と漠然とした希望を持って、ITベンチャーに就職後、5年で2社に勤めて独立。仲間とIT関連の会社を立ち上げて、僕自身は小高に戻ってリモートワークで仕事をしていました。ただ、当時はリモートワークという概念もあまり浸透していなかったので「和田さんとこの長男は嫁さんを連れて帰ってきたけど、昼間っから何をしているんだろうねえ」と、謎の変人だったと思います(笑)。

和田さん そして東日本大震災が発生し、自宅周辺が警戒区域に指定され、家族とともに小高から避難を余儀なくされました。僕自身は引き続き、どこに避難しても、どこでも仕事はできました。けれど「地元小高でやるべきことがある」と、2012年に退職。避難先の会津若松から通いながら、2014年に小高でこのワーカーズベースを立ち上げました。当時の小高は、今よりずっと課題だらけ。店も仕事も、コミュニティも病院もない。そんな場所で避難指示が解除される日が来ても、住んでいた住民が戻ってきて暮らせるはずもない…。でも「課題」は、裏を返せばビジネスの種になります。ワーカーズベースのミッションは、今でもずっと「地域の100の課題から、100のビジネスを創出する」。解決する方法を生み続けてきました。

壁には「100の課題」が書かれた付箋が貼ってあるのが印象的

―どのような取り組みから始めたのでしょうか。

和田さん 最初の最初は、物理的に作業ができる環境を整えようと、小高の駅前にコワーキングスペースを作るところから始めました。すると、お店が一軒もないので、ごはんを食べる場所に困ることに気づいた。そこで地元のお母さんたち4名と、2014年12月に「おだかのひるごはん」をオープン。復興のために働く方や地域の方が食堂に集まるようになってきて、コミュニティが再生する場所になりました。そこで話を聞いていると「いずれ避難指示が解除されても、スーパーやコンビニがなければ生活できない」という声がたくさんあったのを受け、2015年9月に始めたのが「東町エンガワ商店」。少しずつ再生への準備を整えている中、2016年7月に避難指示が解除されると、ぽつぽつと人が帰ってきました。ただ、大きな課題がありました。帰ってくるのは小高という場所に長年なじんだ年配の方が多く、若い方は帰ってこない、ということ。そこで始めたのが、ハンドメイドのガラス工房でした。完全に小高に帰還するのは難しくても、「通勤から始めてみるならどうだろう?」と。帰還するかどうか、家庭の中で最終的に決めるのは女性だと感じていたので、特に子育て中のお母さんが「ここで働きたいと思う、魅力的な職場」を作ることを目的にスタートしました。

平田さん どうしてガラス工房にされたんですか?

和田さん HARIOランプワークファクトリー(※1)さんで働いているガラス職人の方が、南相馬にボランティアで来ていたのがきっかけです。そのタイミングで、バーナーでガラス製品を作る「バーナーワーク」という仕事を知りました。ものづくりであれば、子育て中の方も、時間の融通をきかせながら働ける。何より、作っているものが素敵だった。そこで、今のiriserの前身となる「HARIOランプラークファクトリー小高」を、HARIOランプワークファクトリーとライセンス契約を結んで、2015年に立ち上げました。HARIOさんはHARIOさんで「年配の職人の方が多く、技術が継承されない。もっと職人を増やしたい」という課題があったので、ちょうど需要と供給がマッチした形でしたね。

(※1)HARIOランプワークファクトリー…1921年創業の耐熱ガラスメーカーHARIOが、職人の手仕事技術の継承のために設立した、手作りのガラスのアクセサリーブランド。東京・日本橋の工房と全国6か所の生産拠点で、ひとつひとつ製作しています。

―HARIOランプワークファクトリーから、現在のiriserに変わったきっかけは何だったのでしょうか?

和田さん HARIOランプワークファクトリーの仕事を2年ほど続けていたところで、「この地域でやっているからこそのものづくりがしたい」という話が職人たちから上がってくるようになりました。「では、自分たちの独自ブランドを立ち上げましょう」と始まったのがiriserです。HARIOさんも「職人がHARIOの仕事に依存しなくても成り立つのが理想」と、立ち上げの際はものすごく応援してくれて、資材や業者を紹介してくれたり、商品の撮影の方法を教えてくれたりと、本当に感謝しています。

小高は紅梅の名所であり、またサーフィンの聖地でもある。iriserブランドでは、梅の花びらや波紋など、小高ならではのモチーフを繊細なデザインで表現。「iriser」とは、フランス語で「虹色にする」「虹色に輝く」の意。「今日を生きるあなたと、商品を生み出すわたしたちが自らの手で彩り輝けるような未来をつくれるように。身に着けることで、前向きになれる」ブランドを目指しているそう。

ういさん 今でもHARIOランプワークファクトリーの仕事はたくさんいただいている上で、iriserのものづくりもしています。さらに、土日に会社の設備を借りて自分でデザインしたオリジナルの商品を作ってもいいので、ちょくちょく作ってはお店に置いてもらったり、webで売ったりしています。

―お休みの日に会社の設備を使ってオリジナルの作品を作り、自由に売ってもいいって、心が広いですね…!!

和田さん 僕も元々はプログラマーだったのでわかるんですが、会社の仕事だけやっていては技術力も上がらないし、発想も広がらない。「与えられた仕事」とは別のところでものづくりをすることで、最終的には仕事にいい影響が出るはずだと思って、どんどんやってもらっています。それに、最悪僕たちがビジネスとして成り立たなくなってしまったとき、職人全員が共倒れしてしまうのは違う。しかも、ガラス職人は特定の技能に特化した仕事なので、いざ転職するとしても選択肢が多くない。であれば、最初から会社の仕事以外に収入源があったほうがいい。

アトリエに併設されたアクセサリー売り場には、職人たちのオリジナルブランドのアクセサリーもたくさん。個性が光ります。

和田さん それに、僕たちの会社のミッション「100の課題から100のビジネスを創出する」で目指しているのは、自立した地域社会です。たとえば都会から大きな会社を呼んできて、「何千人も雇用する1つの事業」にすべてを依存することは、その会社がいなくなってしまうと一気に立ち行かなくなるのと同じ。震災のときも、外部から来た企業は軒並み引き上げていって、最後まで頑張ったのは地域の事業者です。地域の人たちが、課題や資源を生かしたビジネスを自然に立ち上げるのが目指したい姿。もちろん職人たちも、自分の力である程度食べていけるようにしたほうがいい。そこで、やりたい人は空いている時間を使って、自分のブランドを好きに展開してほしい、と伝えています。

―ちなみに、ういさんがiriserで働こう、と思ったきっかけは何でしょうか?

ういさん バーナーワークがやりたくって、探しているうちに見つけました。富山のガラスの専門学校に通って、吹きガラスを中心にバーナーワークや切り子など、いろいろなガラスの技法を学ぶ中で、好きだな、私に合っているなと感じたのがバーナーワーク。でも、仕事でやりたいと思うと、会社として求人しているところが少なくて、自分で作家として独立するパターンが多いんです。調べてもまず最初に出てくるのがやっぱりHARIOさんなんですが、募集をしていない年でした。どうしよう…と探しているときに、ちょうどインスタでiriserを発見しました。

この日ういさんが身につけていたアクセサリーも、ういさんオリジナルブランドのハンドメイド。

平田さん インスタなんですね!

ういさん そうです。募集を見かけてDMを送らせてもらって、オンラインでお話して。最初は「バーナーワークでガラスに関わりたい」というだけだったんですが、実際に見学して事業内容を知ったとき「自分が働くことで福島の復興もできるなんて、素敵だな」と思って、小高に移住して、2021年4月から働き始めました。

―インスタで募集をかけたのは理由があるんでしょうか?

和田さん インスタ以外でも募集はしていましたが、ブランドとしては、主にインスタで情報発信をしていて、フォロワーには「iriserが好き・ガラスが好き!」という方が多くいらっしゃるので、もともとブランドやガラスが好きな方の目に留まってくれたらいいなという想いもありました。

ういさん 私が入社した後、ガラス学校の同級生があと2人入社しましたよね。

―和田さんが当初目指していた「若い方の職場づくりと移住」が叶っているんですね。

和田さん そうですね、職人が8人いるうち、5人は地元の方なので、3人が移住してくれたのは嬉しいですね。

平田さん 実際移住してみてどうですか?

ういさん この建物は宿泊もできるし、起業を目指している地域おこし協力隊の人の出入りもあるし、いろんな方との出会いが多く、実際にお話したりもできるので、刺激があって楽しいです。私は新潟出身で、専門学校は富山なのですが、北陸に比べると本当に雪が降らなくて、晴れの日が多くて過ごしやすいです。車でいろんなところにも行きやすいですしね。

和田さん 小高は駅から1.5kmくらいのところにあらゆるものが詰まっているコンパクトな街なので、一度来てしまえば飲んで泊まって買い物して、と一連のことがすぐにできていい!と、一度何かの機会でやってきた方も、移住してきた方も言いますね。

―小高に移住してビジネスを始める人はこんな人が多い、という傾向はありますか?

和田さん そうですね、一度住民がゼロになった街だからこそ、「過去の延長線上ではない、まったくのゼロベースから新しい街が作れるフロンティアだ」ということをずっと言ってきているので、それに共感して面白いと思える人が多いと感じます。起業家の方は「どこかで見たことがあるもの」ではなく、コンセプトが尖っていたり、今までにないチャレンジをする方が多いかな、と思います。

平田さん ゼロから何かを作るのって、勇気や知識が必要ではないですか? やったことがないことに挑戦するのがすごく怖くて。乗り越え方があったら教えてほしいです。

和田さん コツは「小さく始めること」です。小さく始めれば何も怖くありません。その「小ささ」は人それぞれですが、自分が踏み出せるところまで分解してみてください。たとえば、飲食店をやるとします。なんとなく「週に6日営業して、メニューはある程度種類がないとお客さんが来ないからたくさん考えて、オペレーションもクレームが来ないように整えて…」と考えると大変そうだし、なかなか始められないじゃないですか。僕が食堂を始めたときは「週3日、メニューは1つだけ、オペレーションはやってみてクレームが来たら変えていこう」というスタンスで始めてみました。

平田さん 確かにそれだと始められそうです!

和田さん バーナーワークの工房も、最初は駅前のコワーキングスペースの小上がり4畳半のスペースを充てて、配管も入れられなかったので外にガスボンベを置いてそこから引っ張る、というところから始めました。

作る人によってひとつひとつ違う。ハンドメイドガラスの魅力

―ものづくりをする上で心がけていることを教えてください。

ういさん まずはお客さんの手に渡るものなので、壊れにくく丈夫に作ることが前提。その上で「この形はこう作るとバランスがよくてきれいだな」という理想像が頭の中にあるので、そこを目指しつつ、丁寧さと早さを意識して作っています。同じ図面を見て作っても、作る人によってニュアンスが違う1点ものだというところが面白いんです。誰が作っても同じだったら機械で作るのと同じだけど、そうではない。

実際のハンドメイドガラスづくり、バーナーワークの作業風景。ひとつひとつ丁寧に仕上げていきます。

アトリエの作業机の前には大きな窓。太陽の光がたっぷりと差し込みます。

和田さん ミリ単位で作っていて、数字だけでいえば同じ形になるはずのものでも、ひとつひとつ違うんだよね。

ういさん 誤差もこの範囲までは許容、と決まっていて「縦と横のサイズは同じだけど、斜めから測ると誤差がある」「この人が作るとまあるい感じだけど、この人が作るとシャープ」とか、少しずつ違うんです。iriserのアトリエに来てくれるお客さんの中には、同じ商品の在庫をできるだけ全部見て好きなものを選びたいという方がいて。こだわりを持って大切なひとつを選んでくれるというのは、とっても嬉しいです。

福島の未来、小高の未来。そしてこれからの展望

―最後に、復興の過程でやってきたこと、そしてこれからの皆さんの展望を教えてください。

和田さん …自分で言うのもなんですが、誰もがネガティブな印象を持っていたこの地域に「いやいや、ゼロから新しい社会を作るフロンティアです」と、パラダイムシフトを起こしたことがいちばんでしょうか。食堂、スーパー、コワーキングスペース…行動しながら走ってきて、後からついてきてくれる方がたくさん来てくれたことはありがたかったです。そして最初は「ここで事業を始める」なんて想定はされていなくて補助金もなかったのですが、僕たちが始めたことで「これも必要だよね」と整えられていきました。最初は「ここで起業する」なんて言ったら笑う人もいましたが、今はもう笑う人はいません。

和田さん 事業を生み出すことで町づくりをする、というのは、全国的に見てもそんなに多くはないケースです。地方が持続していくためには、依存体質から脱却しなくてはいけません。町を作ることや暮らしをよくすることを、政治や行政に依存するのを変えていかないといけない。そのために、得意なことを生業にして生活していける人や、自分で事業を立ち上げて地域の課題を解決したり、地域の素晴らしい資源を生かしたビジネスを始めたり…そんな人が溢れる地域にしていきたい。小高から始まって、東北、そして日本全体がそういう形で溢れると、きっと素晴らしい国になるはず。そこを目指して、引き続き事業を作ったり、職人が活躍できる環境を整えていきたいですね。

ういさん 私はごくシンプルな話になってしまうんですが…ガラスが好きで、ガラスの魅力を多くの人に知ってほしいので、もっと発信していきたいです。そして、コロナ禍でできなかったイベントに出店してお客さんと直接交流したり、ガラスを身近に感じてもらえる機会を増やしていけたら嬉しいです。

平田さん 私もずっと福島市に住んでいて、「自分が住んでいるところに尽力できるっていいな」と、地域と連携したプロジェクトをしているんですが、地域に根ざした活動って簡単ではないですよね…。どうやって人を地域に呼んで、地域を活性化していく一員として活躍できるか、それをもっと考えて行動していきたいです。

和田さん ちなみに、どんなことをやってらっしゃるんですか?

平田さん 4月に富岡町で行われた「さくらまつり」で、富岡の桜の匂いを花王さんが抽出したものを、桜の花びらの形をした紙に吹き付けてしおりを作るワークショップを開きました。私ももっと地域連携を学んで、福島で就職して、町を活性化できたらいいな、と思っています。

和田さん ここにはいろんな起業家の方がいて、それぞれみなさんの価値観や考え方も新鮮なので、またぜひ遊びに来てください。

平田さん ありがとうございます、また来ます!

「一度ゼロになった町だからこそできることがある」という力強い言葉、常にチャレンジし、前に進み続けるパワーを目の当たりにし、取材後のスタッフ一同も、とても元気をいただきました。これからさらに面白いものを生み出し続けていくであろう小高エリア、要注目です。
そんなパワーがたっぷりと込められたiriserのアクセサリーも、ぜひチェックしてみてくださいね。

iriser-イリゼ-公式サイト

小高ワーカーズベース 公式サイト

【福島県ってどんなところ?】

渓谷が川霧に包まれて幻想的な景色になる「霧幻峡」(奥会津)や、全長520mの並木道に植えられた116本のイチョウが圧巻の、あづま運動公園のイチョウ並木(福島市)、8000万年の年月が創り出した鍾乳洞・地底の幻想世界「あぶくま洞」(田村市)など、見応えあり写真映えするスポットも多数。
映画『フラガール』の舞台となった「スパリゾートハワイアンズ」、近隣に猪苗代湖や磐梯山などの大自然が広がる「磐梯熱海温泉」なども県内外から定番の人気を集めます。
グルメではちぢれ太麺に醤油ベースのあっさりスープが特徴の「喜多方ラーメン」や、全国有数の桃の産地であることから、ジューシーでフレッシュな桃をそのまま食べるのはもちろん、数々の桃スイーツも人気。
What’s「ネクストとうほくアクション」?

花王が支援する取り組みで、東北の3つの新聞社である岩手日報、河北新報、福島民報が手を取り合って、東北の皆さんとともに未来を考え、未来につながる活動を推進していく取り組み。現地の高校生・大学生とともに行うプロジェクトや東北に花を咲かせるプロジェクトなど、さまざまな取り組みを行っています。
公式サイト https://smile-tohoku.jp/

協力/花王グループカスタマーマーケティング株式会社

撮影/安川結子 構成/後藤香織