伊村製作所の共通点は“逆転人生”?吉村、「小学4年で女子の厳しさを経験した」

芸歴1年目、吉村卓也さんと伊藤直人さんからなるお笑いユニット“伊村製作所”。

昨年、人生最高のクリスマス&クリスマス妄想デートをお届けしましたが、本日は、ふたりの生い立ちに焦点を当ててみます。伊村製作所は、芸人としては1年目ですが、実は、俳優としての芸歴は7~8年という異色のふたり。

同世代のB型ながら、共通点がなかなか見当たらないふたりでしたが、同じオーディションを受け、それを機に芸能界入りし、ふと気づけば隣にいる。それってもしかしてソウルメイト?

伊村製作所,吉村卓也,伊藤直人

(左:伊藤直人、右:吉村卓也)

そんなおふたり。吉村さんは中学に、伊藤さんは小学校高学年で“人生が逆転”。「二軍から一軍」「一軍から二軍」という、ふたりの逆転人生とは……。

 

┃「二軍から一軍」の伊藤と「一軍から二軍」の吉村の逆転モテ人生

Woman Insight編集部(以下、WI) まずは、おふたりの生い立ちを話してもらえますか?

伊藤直人さん(以下、伊藤) じゃあ、僕から……生まれは愛知県名古屋市で、幼少期から19歳まで過ごしました。小学5年生まで、体脂肪25%ぐらいの肥満児で、完全にぽっちゃりオーバーでしたが、小学6年生のとき、競技のドッチボールを始めたんです。全国大会とかもあるガチなやつ。それで一気に体脂肪が15%に落ちて、さらに成長期も重なって、そのころからどんどん格好よくなって……。

吉村卓也さん(以下、吉村) ん? まぁいいや、続けて。

伊藤 うん。それで中学校に入学して、昔の僕にはあり得なかった“モテ期”が始まったんです。見た目が激変したことで、周りの反応もガラッと変わりました。いちばんわかりやすかったのが、それまで「伊藤くん」と苗字だったのに、「直人」って名前で呼ばれるようになって。

吉村 二軍から一軍になる感じだね。

伊藤 そうそう。でも中学のころはいたって普通の生活。高校生になると深夜まで起きてる生活になり、観ていたテレビのひとつが『爆笑オンエアバトル』。他にもお笑いの番組をいろいろ観ていて、そのころから「お笑いって面白いな」って。高校2年生の秋ぐらいに事務所に入りました。目立つのがもともと好きだったので、演技の仕事を7年間やらせていただき、いまは芸歴1年目の芸人をやらせていただいてるって感じです。

吉村 だいぶはしょってるけど、事務所に入ったのって、コネだっけ?

伊藤 あれ、コネだっけ? いや違う違う(笑)。アミューズの事務所30周年のオーディションを受けたんです。……で、いまに至るっていう。

伊村製作所,吉村卓也,伊藤直人

 

WI またはしょってませんか?(笑)

伊藤 あれ、そこ大事ですか? オーディションでは、ポルノグラフィティさんの『黄昏ロマンス』を歌いました。渋い選曲ですよね。オーディションを受けたきっかけは、高校生のころ、お笑いとラジオも好きだったんですけど、TFMの『SCHOOL OF LOCK!』という番組のリスナーで、そこの企画で「アミューズ事務所のオーディションに出てみよう」というのがあったんです。気軽な気持ちで応募したら、バックアップしてもらえるという返事をいただき……事務所に入ったっていう(笑)。

吉村 まとめると、ラジオのバックアップがあって事務所に入ったので、やっぱりコネですね。さっきから大事な部分をはしょるのは、そこを隠したいからなんですよ、きっと。

伊藤 断じてコネではないです!

 

WI それでは、吉村さんの生い立ちは?

吉村 広島県の広島市に生まれまして……でも市内とはいえ、けっこう田舎のほうなんです。山の中央部で、イノシシが出るようなところなので、正直、モテる経験をしたことがなかったですね。しかも、小学4年生に野球を始めて坊主にして、野球のボールが目に当たって視力が落ちてメガネをかけてたんです。それまでは髪の毛も伸ばしてて、外見が女の子みたいなかわいい男の子で、女の子の友だちも多かったのに、外見が一気に変わったことで……直人と真逆です。「卓也くん」とか「たっくん」って呼ばれてたのに、「吉村くん」になりました。そのときに女子の厳しさを経験しましたね。

伊藤 まさに一軍から二軍だね。

伊村製作所,吉村卓也,伊藤直人

吉村 小学4年から高校1年の冬まで、ずっと野球しか頭になくて、本気でプロを目指してました。僕、広島の広陵高校出身なんです。甲子園常連ともいえる高校に行って、ピッチャーをしてたけど、1年の冬に肩を壊してしまい、野球を続けられなくなったんですね。それで野球を辞めてバイトを始めてから、髪を伸ばし、コンタクトにして、いままでジャージだった服もやめて。

 

WI 外見が変わったらモテたのでは?

吉村 でも広陵高校って、全校生徒の比率でいうと、女子が1割いないんです。しかもスポーツ名門校なので、女子1割の60%が坊主、20%が角刈り、10%が秀才タイプ、残り10%が野球オタク。この野球オタクが、校内でいちばんイケてるグループだったんです。入学してすぐ、レギュラーじゃない僕にも、校内外の女子の入り待ちがつくぐらい。朝練のときに毎日、おにぎりとか電話番号をもらったりしてたのに、野球部を辞めたとたん、パッタリなくなりました。部活を辞めて時間ができたので、その女子たちと遊ぼうと思って連絡したのに、返事が返ってこない。だから、高校時代にモテた記憶が一切ないんです。髪を伸ばしたりしてからは、顔が整ってるから格好よくはなったんですけど……。

伊藤 え? ああ~、はいはい(笑)。

吉村 それで、「夢を見つけよう」と考えて、高校2年のころ、建築士になりたいと勉強を頑張りました。アミューズに入ったのは、直人と同じオーディションを受けた後、高校3年の夏休みの時期。正直に言うと、当時、まったく芸能界に興味がなかったんです。きっかけは、隣に住んでる幼なじみ。彼がずっと芸能界に入りたくて、高校最後に……と受けたのがアミューズのオーディションで、親同士も仲良くて、友だち含め3人がグルになって、僕の分も一緒に送ってたんです。ふたりとも順調に審査を通ったけど、中国地区代表2人の枠に、僕だけ残ってしまって……。友だちのことがあったので悩みましたが、後押ししてくれて、「ただで東京行けるから記念に」ぐらいの気持ちでした。

伊村製作所,吉村卓也,伊藤直人

 

WI 当時のことはふたりとも覚えているんですか?

伊藤 もちろん。当時、いちばん仲がよかったんです。オーディションを受けた30人ぐらいが、同じ車両に、九州から順に乗って来る。僕たちそのとき席が隣でした。オーディション前日にリハーサルした後も、どっちの部屋か忘れたんですけど、部屋に行ってしゃべって。それで、なんだかんだ7年ぐらい経ちましたね。

吉村 長いよね。まあ、そのオーディションがきっかけで、僕も事務所から声をかけてもらったわけですけど。入ってからは、俳優の仕事を楽しくやってました。いまでも俳優の仕事は楽しいんですけど、22~23歳のころ、ふと「自分がいちばんしたいことってなんだろう」と考えたことがあって、何気なく家にあるDVDを眺めたら、お笑いのDVDがたくさんあることに気づいたんです。それで自分は「お笑いがやりたいのかも」と。役者をやりながら、誰に見せるでもないネタを書き溜めてはいたんですけど、それがいま芸人になって、自分でもびっくりしているっていう(笑)。

伊村製作所,吉村卓也,伊藤直人

伊村製作所のインタビューは後半へ。ふたりの出逢いの場・オーディションについて聞いてみると、“前日のある出来事”について吉村さんが暴露。伊藤さんはすっかり忘れていましたが、吉村さんいわく「面白いやつと出逢っちゃった」という印象だったとか。(さとうのりこ)

★後半→俳優から芸人という異例のふたり。伊村製作所に“人生の分岐点”を聞いてみた

\伊村製作所が単独ライブ開催/
2016年1月9日(土)~11日(月)
単独ライブ「伊村製作所 Vol.4」@劇場hope

*伊村製作所Twitter @imurafactory

 

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