かつて思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)さんが「民藝」の美を説いてから80余年。日本は自然素材の宝庫。その自然素材を使い、職人の手技によってつくられる「民藝」は、長く使い続けることができ、そして使うたびに心が和む道具として、今再び熱い視線が注がれています。
大正時代の末に登場したこの新しい美意識=「民藝」は、柳宗悦さんと民藝運動をともにした6人によって、道がつくられ、その命が脈々と受け継がれています。板画の鬼才・棟方志功(むなかたしこう)さんもそのひとり。
『和樂』12月号では、「さあ!“民藝”を買う旅に出よう!」と題し、松本、弘前、鳥取の3都市の民藝を紹介しています。
●「民藝家具」を生んだ“長野県松本市”
英国のウィンザーチェアに倣った背もたれの大きな椅子や、座面をガマの茎で編んだスツールが代表となる「松本民藝家具」。かつて、和家具の産地として栄えた松本で、私財を投じて手仕事の家具をつくり始めたのは、民藝運動の一人でもある池田三四郎さん。柳宗悦さんの公演を聞いて民藝に目覚め、西洋家具を手本に、和家具職人の技を持って、新たな“松本家具”をつくろうと一念発起したのだとか。
分業ではなく、一人の職人が木の加工から塗装前まで手掛けた民藝は、使い込むほどにそのよさも増します。背もたれのカーブに用いられる“曲木”には、18世紀英国の工法が採用されています。地味で手間のかかる作業ですが、木の繊維が傷まず、長く丈夫に使え、経年変化も自然で美しくなるのだそう。
●「かご編み」の伝統が息づく“青森県弘前市”
弘前のものづくりを支えてきたのは、厳しい自然の中で粘り強く培われてきた確かな手技。津軽藩の城下町であり、殿様の注文によって津軽塗が生まれた一方で、庶民の知恵がつまった美しい手仕事のひとつが、「あけび蔓細工」。
80歳になる伝統工芸士・渋谷悦さんがつくる、あけび蔓のかごは、カッチリきっちり几帳面に編まれているのに、手に取ると驚くほど弾力があって軽やか。編み目が畑の畝(うね)のようになる“うね編み”は、時間も手間もかかるしんどい編み方。材料となる蔓を山で採取して1年乾燥させ、節やひげ根を除いて下ごしらえした蔓を、渋谷さんは半分(通常はそのまま使う)に割いて使います。このひと手間で、重くならず、野暮ったさもなくなるからだとか。
●山陰の「焼物」づくりをリードした“鳥取県鳥取市”
良質な土にも恵まれ、江戸時代から焼物の町として知られてきた鳥取を「民藝」へと導いたのは、地元生まれの医師、吉田璋也さん。医師でありながら建築や家具の設計を手掛け、デザイナーとしても大活躍というマルチプロデューサー。
この吉田さんに民藝の心を教わった山本教行さんがつくる焼物は、素朴で頼もしい造形、そしてどこかユーモラスな紋様。高校1年で吉田さんの家を訪ね、“こういう暮らしがしたい”と思い、18歳でバーナード・リーチさん(民藝運動のひとり)に師事。そこで学んだ技や哲学に今も支えられているそう。コーヒーカップのハンドルの持ちやすさは絶妙で、このハンドル付けはリーチさんの流れをくむもの。自分のものにできるまで数10年かかったといいます。
「民藝」とは、飾っておくだけの美術品ではなく、“使うためにつくられた美しい道具”。使ってこそ、その道具のよさがわかり、使い込むほどに美しさが増すのです。『和樂』12月号の表紙は、渋谷悦さんの手による「あけび蔓のかご」。これぞまさに、世界に誇れる日本伝統の技!(さとうのりこ)
(『和樂』2014年12月号)
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