皆さん、「つるし雛」ってご存じですか? 長寿を願う桃や厄除けの猿、神の遣いの白うさぎなどの布細工を絹の切れ端でつくり、天井からつるすというもので、娘や孫の初節句を祝う日本独自の風習です。
発祥は江戸後期ですが、今では山形県の酒田、静岡県の伊豆稲取、福岡県の柳川の3か所でしか見られないのだとか。なぜ遠く離れたこの3つの町で同じ文化が生まれたのか、『和樂』3月号の記事からご紹介します。
「つるし雛」の始まりは、静岡県の稲取温泉。伊豆稲取では「雛のつるし飾り」と呼ばれ、女の子が授かると、祖母や母、姑が1年がかりで飾りを縫いため、初節句を祝うという素朴な庶民文化だったそう。
実はこの風習は一時忘れられかけていましたが、平成に入り地元女性たちによって復活。なぜ雛をつるしたのかは謎だそうですが、雛をつるすことで“小宇宙”ができる……美しく揺れる雛たちで作られた小宇宙が、物のない時代に心を満たしていたのではないか、と地元「絹の会」の森幸枝さんが話しています。
ところ離れて福岡の柳川の雛飾り「さげもん」。発祥には諸説あり、ひとつは高価な雛人形が買えない代わりに古着の端切れで小物をつくって祝ったという説。また、城の奥女中が着物の裂(きれ)で琴の爪を入れる布物をつくり、腰に下げて飾ったのが始まりという説があります。いずれにしても、伝統工芸の“柳川まり”とともに伝承されたと言われています。
飾りは、全部で51個。人の寿命が「50歳」と言われた時代に、少しでも長生きしてほしいという願いを込めてつくられたのだそう。
最後は、山形県の酒田。まだ肌寒い2月下旬から、ひと足早い雛祭りが開かれます。赤い幕を張った大きな傘に、手づくりの飾り物をつるした「傘福」が、酒田の「つるし雛」。町中が赤い傘の飾りで賑わう様子は、想像するだけで胸が高鳴ります。
「傘福」は、地域の女性たちが子供の健康を願ってつくり、神社仏閣へ奉納していたもの。現在も昭和50年代の傘福が奉納されている海向寺(かいこうじ)の方によると、「本来の傘福は、個人の家に飾るものではなく、女性たちが力を合わせてつくり奉納するものです。祈りを込めると同時に、手仕事に集中することで心が穏やかになり、隣人同士のコミュニケーションにもなる。とてもいい信仰の形ですね」という話。
●静岡県の伊豆稲取「雛のつるし飾り」
雛人形をつるすのではなく、着物の端切れを縫い合わせて面を入れた布細工を、雛壇の両側に飾りつけたのが原点。現在では、直径約25cmの下げ輪に、11個の飾りを付けた赤い糸を5本つるし、これを対で飾るのが基本の形になっています。●福岡県の柳川「さげもん」
雛壇の両脇に左右対称で飾るのが正式。一尺三寸(40cm)の竹の輪に赤布を巻き、7個の飾りを付けた糸を7本つるします。さらに大きな“柳川まり”を2個加えて飾りは51個。これを対でつるすのだとか。●山形県の酒田「傘福」
赤い傘の先に布細工をつるした飾りが特徴。花や桃の飾りのほか、円満を望む“七宝”や財産に恵まれる“小槌”などがよく飾られるそう。
子供や孫の誕生を祝うとともに、布細工のひと針ひと針に、健康や幸せを願う気持ちが込められた「つるし雛」。日本の遠く離れたこの3つの町で同じ文化が育まれた謎は解明されませんでしたが、“家族の愛”という共通点がありました。
そう思うと、今年の雛祭りには、離れて暮らす家族に感謝の気持ちを伝えてみようかな、そんな気分になりました。(さとうのりこ)
(『和樂』2014年3月号)
【あわせて読みたい】