6月7日に発売された『AneCan』7月号で、創刊号から誌面を彩り続けたモデル、高垣麗子さんが、同誌から卒業しました。
品のある美しいたたずまいと親しみやすい性格で、読者が「こうなりたい!」と思う憧れの存在です。
そんな高垣麗子さんの、卒業記念スペシャルインタビューをお届けします。
Woman Insight編集部(以下、WI)AneCanご卒業おめでとうございます! 9年4か月もの間、お疲れ様でした。
高垣麗子さん(以下、麗子)こちらこそ9年4か月、お世話になりました。こんなにひとつの雑誌で長くモデルをしたことってなかったので、自分でもびっくりです。ひとつひとつが思い出深くて、「AneCanならでは!」ということがすごくたくさんあって、濃い日々でした。
WI 本誌でも、海外撮影でロケバスがエンストしたなどさまざまなエピソードが語られていましたが、中でもこれは大変だったぞ……という思い出があったら教えてください。
麗子 普段、自分で自分のことを頑張ったな、ってあまり思わないんですけど、それでもあのときはすごく頑張ったな……と思うのは、『Canコレ!』ですね。
WI やはり『Canコレ!』……!(※CanCam創刊30周年・AneCan5周年を記念して行われたイベント。蛯原友里さんも7年半を振り返って思い出深い出来事に挙げました)
麗子 はい(笑)。自分の人生の中でもかなり大きい思い出ですね。人前で何かをするのも、ダンスも苦手だった私が、撮影の合間も音楽を流して練習して、休みの日もみんなでレッスンに通って、必死に踊って……。大変ではありましたが、大人になってから、みんなでなにかひとつの目標に向けて一生懸命頑張るって、なかなか経験できることではないので、よかったな、と思います。
WI 改めてそのときの動画を見たんですが、よーく見ると、確かに高垣さんだけ、振りが少ないですよね。
麗子 そうそう(笑)。(蛯原)友里ちゃんや、(押切)もえちゃんはもともと踊れたんですが、私はふだんクラブに行って踊るということもしないので不安でしたが、ダンスの先生に、これならキレイに見えるんじゃないかな、という振り付けをしていただいて、なんとかなりました。しかも、ファッションショーだったので、踊るだけじゃなくきれいに洋服を見せなきゃいけなくって……最後は足がテーピングだらけになったり、わりと過酷でしたが(笑)、終わったあとの感動は忘れられません。CMで歌に挑戦したときもそうでしたが、苦手なことって、自分からはなかなかトライしないので、さまざまな機会を与えていただいたのは本当に大きいです。実際やってみると、意外とできたり、楽しかったな、と思えたり。すごくいい刺激でした。
WI 高垣さんにとって、AneCanって、どんな雑誌ですか?
麗子 自分では知らなかった自分の新しい部分を発見させてくれる場所ですね。モデルとして洋服を着て、新しいメイクを見せる……それだけじゃない、いろんな発信ができる場所です。『星の王子さま』に変身する企画やら、セミヌードの表紙やら……。でも、小学館の雑誌って、そういう決まりがなくって自由な雰囲気があるのかな。私はティーン誌の『プチセブン』(※小学館から発行されていました)からモデル人生をスタートしたんですが、その頃は「今日の衣装はさるの着ぐるみです!」と、ラックにさるがかかっていたり(笑)。その名残があるのか、AneCanもいつも発想豊かで、毎号毎号すごく面白かったです。
WI 中でもこれはすっごく楽しかったな、ということはどれでしょう? ……たくさんあるかと思いますが(笑)。
麗子 本当に楽しかったことが多すぎて! 海外ロケもそうですし、食の連載もそう。でも、中でも初のライフスタイル本『くいしんぼ。』は思い出深いですね。タイトなスケジュールの中で作って、朝から晩まで編集部にいた日もあったんですが、もうとにかく楽しくって! 料理のページは、自分が美味しいと思ったレシピを伝えたい、と、一品一品自分で作りたいな、と思って、家から食器も持ってきて一生懸命作りました。
WI 食器も持参とは……なかなか大変ですね。
麗子 大変というよりは、むしろすごく充実していて、私ってこういうのが好きなんだなって改めて思いました。汗水たらしながらパンケーキ焼いたり、ごはんを作ったり……楽しかったなぁ。私はお料理教室に行ったことがあるわけではないので、もしかしたらちゃんとした基礎のことをわかっていないかもしれませんが、「誰でも簡単に美味しく作れる」ということを大切にしました。
WI 今思うと、初のライフスタイル本が『くいしんぼ。』って、すごいタイトルですよね。
麗子 本当は『Reiko Style』のようなタイトルにするという案もあったんですが、1時間半くらい編集の方と話して、「いや、あなたは『くいしんぼ。』だよ」と説き伏せられました(笑)。でも、結果的には『くいしんぼ。』でよかったな、と思います。この本がきっかけで、「私は本当に食を大事にして生きているんだな」ということに気づけて。そこからAneCanで食の連載もスタートしましたし、私生活でも「もっと食を大切にしたい!」と、美味しいものを発信するようになりました。
WI もはや高垣麗子さんといえば「食」がかなり定着していますが、AneCanや『くいしんぼ。』が改めて食を大切にしようと思ったきっかけなんですね!
麗子 そうですね、自分の中での「食」への想いがこんなに強いんだ、と気づけたのはAneCanのおかげです。食べることは小さいときから好きで、自分の中でのこだわりはありましたが、自分にとってはそれが普通でした。でも周りの方に「本当に麗ちゃんって食べるのが好きだよねー!」と言われるようになってきて。AneCanで「みんなの○○見せます」という企画のときも、例えばもえちゃんは本棚で、他の子はバッグの中身で……というときに、なぜか私は冷蔵庫(笑)。ちょっと恥ずかしかったんですが、みんなに「冷蔵庫見たよー、面白かったよ!」と言ってもらえたので、よかったかな、と思います。
WI AneCacnでも『くいしんぼ。』でも冷蔵庫公開されてらっしゃいましたよね……!AneCanって独特の、ちょっと変わった視点もありつつ、モデルさんの個性を引き出している雑誌ですよね。
麗子 本当に、それぞれのモデルさんのいいところや個性をちゃんと引き出してくれる、ありがたい雑誌だなと思います。私は同い年のもえちゃん友里ちゃんという、個性的なふたりと一緒に仕事をする機会が多くて。そのときに、「私はもえちゃんにも友里ちゃんにもなれないけれど、じゃあ私はどんな人だろう」と「自分らしさ」についてもかなり考えました。その中で、私はごく普通のライフスタイルを送っているし、読者の皆さんと近い存在でいたいな……という考えに至って、そこを大事にしてきました。
WI さて、本日、元AneCan編集長の福田さんにも同席していただいているわけですが……福田さんから見た高垣麗子さんは、どんな人でしたか?
元AneCan編集長 福田葉子さん 麗子は、定期的に、自分のイメージを裏切るようなことにトライしたいです、と言ってくる人です。普段は上品で、ナチュラルで、コンサバな服やヘアメイクが多いけれど、ときどき自分の殻をぽんと破りたがるんですよね。なかなかそういうチャレンジングなことを言ってくる人はいない中で、麗子は「自分がトライすることによって、マンネリになりがちな読者の子たちに何かメッセージを送りたい……」と。そういう貪欲なところもあって、『くいしんぼ。』だな、と思います。
麗子 やってみたい、って思っちゃうんですよね。ここ1年だと、自分で服をリースしに行って、編集者とスタイリストをどちらも合わせたようなページを作らせてもらったり。食もファッションもそうですが、自分が「本当にいい!」と思ったものは、どんどん発信していきたい。ファッションって、自分の好きなスタイルやブランドが決まってしまうと、どんどん毎シーズン同じブランドばかり見るようになって、守りに入ってしまう人が多いんです。でも、海外の憧れブランドだけじゃなくて、国内のブランドでもいいものはたくさんあるんだよ、ということをAneCan読者の皆さんに知ってもらえたらいいな、という思いで、そんなページを作らせてもらいました。すごく大きいことではないかもしれないけど、試してみて、よかった、って、ちょっとでも世界が広がったらすごく楽しいじゃないですか。AneCan卒業後も、その「ちょっとの広がり」を提案していけるといいな、と思っています。本当にAneCanと一緒にどんどん大人になって、成長してこれたなぁ……。いろんな節目がありました。
WI AneCanにいる間に、結婚・離婚・再婚……と、プライベートでもさまざまなことがありましたが、その経験は、高垣さんにとって、どんな経験だったでしょうか。
麗子 そうですね、すごく楽しいとき、落ち込んでつらいとき、両方ありました。でも、今になって考えると、どれも必要な経験です。離婚もそうですけど、つらい経験をすることで、自分にとって何が大事か、ということが明確に見えるようになりました。それに、同じ立場で、同じ境遇の人の気持ちをわかってあげられる。つらい経験は、振り返ればひとつのプラスの経験です。離婚もそうですし、太っちゃったときもそう。本当にいろいろありましたねぇ……。