作家LiLy×所長対談(2)「女子高生のリアルを知ってる私の声は、誰にも届かなかった」

小説『ブラックムスク』を上梓し、早くも話題の作家・LiLyさん(32歳)。『ブラックムスク』の『AneCan』への連載は、当時AneCan編集長だった嶋野智紀(現・小学館女性インサイト研究所所長)との出会いがきっかけでした。そのふたりの対談第2回では、LiLyさんが作家を志すきっかけから、ギャル世代について語ります。

前回の対談はコチラ→ 作家LiLy×所長対談(1)「渋谷ギャル世代の“自分vs.自分”な自意識の戦い、舞台は表参道」

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LiLyさん(以下、LiLy) 自意識をテーマに小説を書きたいって思ってから、実際に“書ける!”と思うまでには少し時間がかかりました。主人公の仕事内容などは取材をしますが、テーマの軸になるのは心理描写。自分の中にある感情を、主人公の立場に置きかえて、想像力でどこまでも膨らませていく作業になります。材料は自分だから、自分自身が自意識にがんじがらめになっている状態では冷静に観察できないわけです。それが、30代になり落ち着いてきたことで、やっと自分自身を俯瞰で見られるようになって、よし、これなら書ける! と。

嶋野智紀(以下、嶋野) 自意識が落ち着いてきたのは、なぜだと思います? 勝ったり負けたりして勝負がついたからなのか、あるいは勝負はついてないけど、何かから遠ざかったからなのか。

LiLy あとがきにも書いたんですけど、自意識にがんじがらめになってしまう一番の原因は、他者からこう思われたいという『理想の自分』と『実際の自分』とのギャップなんじゃないかと思うんです。そのミゾから、無駄な虚栄心やいらないプライドがにょきにょきと育ってしまう。そうするとヘンに自意識過剰になってしまって、“今相手はこう思ったんじゃないか”というような勘ぐりに、常に自分自身が苦しめられる。だから嶋野さんが言う“何かから遠ざかったから?”、という質問の答えは、“自分の頭の中の声から”だと思います。結局、何か大きな勝負に勝つとか負けるとかではないし、恋愛や結婚を勝ち負けで図るなんてことは論外というか、そもそも的が外れている。自分のことをちょっとでも好きになれるような、小さな成功体験の積み重ねこそ大事なんだって今すごく思います。あ、今話していて気づいたのですが、子育てと同じですね、それ。ってことは、30代になってなんで楽になったかって、自分で自分をやっと上手に扱えるようになったということかもしれません。自分の欲っていうのは、結局自分でしか慰められない。ここでポイントになるのが、欲のデカさです。ここにはかなり個人差があって、欲がデカければデカいほど苦労する。私です(笑)。10代の頃から「よく夢のためにそんなに頑張れるね」と言われ続けてきましたが、私は己の欲深さを知っていたからこそ、その欲を満たすためにはなんとしてでも、作家という仕事をつかまなくてはとすごく焦っていたし必死でした。自分で自分の欲を、できる限り満たしてあげること。あとは、「受け入れる」と「あきらめる」って紙一重だと思うんですが、受け入れることもうまくなった。満たせる欲もあれば、満たせない欲も常にセットで同時にあるわけだけど、トータルでやっと自分を上手に飼えるようになってきた。

嶋野 今の話は、僕たちが『AneCan』を創刊したときにも通じるお話で、『AneCan』って雑誌のコンセプトも根底に近いものがありますね。『ブラックムスク』は2つの読み方ができると思うんです。1つは、どの年代の人が読んでも何か伝わるような、普遍的なこと。2つめは、センター街に集っていたギャル世代特有の心の持ちよう。両方あるなと思ったんだよね。登場人物の年代はそれぞれ違うから、全部がひとつの世代でくくれるわけじゃないんだけど、作者であるLiLyさんの世代は特殊な世代ですよね。あのギャル世代っていうのは、もっと語られてもいい特殊な世代だと思うんです。

LiLy 欲深い世代ですよね。結婚も仕事も出産も育児も。私たちの母親世代は、キャリアか結婚出産か、どちらかを選ばなくてはいけないような時代だったようですが、今40代の女性あたりから何もあきらめない女性たちがでてきて、そんな先輩たちのすぐ下に私たちがいる感覚。選択肢が多いのは恵まれていることだけど、そのぶん迷うことも増えるし、他人との差も開く。下の世代の女の子たちは、ぜんぶ欲しいというより家庭に入りたいと思っている子が多いと聞きますよね。欲深い私たちを見て心底嫌だと思ったのかな(苦笑)。そういえば、ヤマンバギャルも下の世代はマネしなかったですもんね。あの風潮はたった6、7年しか続かなかった。それがギャル世代をより特殊な印象にしているんでしょうね。

嶋野 なんでギャルは後に続かなかったんだろうね。

LiLy イケてるか死ぬか精神で、コギャルからヤマンバへ、グワーッと短時間で進化しすぎたから、見ていてマネしたいと思わなかったんでしょうね。「ヤマンバ? なんだコレ、最悪」って(笑)。私がものを書きたいと思ったのも、高校生ころのジレンマがあったからなんです。私が17歳だったころにちょうど「キレる17歳」っていうワードが頻繁に使われていて、女子高生による売春、援助交際が社会問題になっていた。実際に私たちの周りでも、ギャルやギャル男のモラルは完全に崩壊していっていた。でも、それを無責任に盛り上げていたのは、いわゆる良識があると言われている大人たちでした。
本当はほんの一部の子だけがやっていたことが、メディアによってギャルの常識として広められ、そこに女の子たち全体が巻き込まれていくのを目の当たりにしてショックを受けた。でも悪者はあくまでも私たち(ギャル)みたいな風潮で、実際は大人に踊らされているだけだった。当時は、メディアでおじさんが偉そうにギャルについて語っているのを見て、「なんだこのオヤジ」って思ってました。おじさんはリアルを知らないのに発言権があって、私は女子高生で本当のことを知っているし、言いたいこともあるのに、私の声は誰にも聞いてもらえない。その「主導権が当人である自分たちにない」というもどかしさが苦しかったし、弱者である女子高生たちが大人たちに壊されていくことが許せなかった。ブームの発端は若者が作ったんだけど、それを大人によって、勝手にビジネスや社会問題化されたっていう気持ちがあります。だから、書くことで発言権を持ちたいって思ったんです。「それは違う!」ってあのときすごく叫びたかった。

嶋野 それを煽っていた側っていうか、メディアにいた自分としてはドキッとする点もありますね。プリクラ情報とか、ルーズソックスどんだけ伸ばせるかとか、僕自身が当時『プチセブン』(編注:小学館が発行していた10代向けファッション情報誌。2002年休刊)でガンガン発信していたし。

LiLy 『プチセブン』は良識がある雑誌でしたよ。私も中学生のころに発売日には必ず自転車をこいで買いに行くくらい大好きでした。でも、そうではない雑誌もありましたし、そういう雑誌に私はムカついてたんです。憧れとして読まれる「雑誌」という立場で、“女子高生の性事情”として“中出し8割”とか、そういうことを面白おかしく書いていいのかよと。今思い出しても腹が立ちます。そんなんで「ギャル文化は自分たちがつくった」と語られても、その影で女の子たちがどれだけ泣いたことか、と。

嶋野 実際のところは、カルチャーの変化の背景には景気の影響が大きく関係しているとは思います。だけど、元々は誰から言われたのでもなく女の子の間から自然発生した文化だったものが「コレいいじゃん」ってなったとたん、大人の仕組みに組み込まれていくっていう構造が確かに存在していたよね。

LiLy その相乗効果で、ギャルはスパークしすぎたんですよね。暴走して、パッと散ってしまった。

嶋野 それと通じるものを感じるのが「読者モデル」っていう存在ね。

LiLy 読モ! 表参道を舞台に、自意識をテーマで描くなら、第一章の主人公はぜったいに読モにしようと決めていました。

作家を目指したきっかけは、女子高生のときに「発言力を持ちたい」と思ったことだというLiLyさん。次回は『ブラックムスク』で描かれる、読者モデルから始まる6人の女性像と自意識について堀り下げていきます。(安念美和子)

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『ブラックムスク』LiLy
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