『もう二度と食べることのない果実の味を』第14話

17歳で「女による女のためのR-18文学賞」で鮮烈なデビューを飾った作家・雛倉さりえさんの最新作『もう二度と食べることのない果実の味を』(通称:たべかじ)が4月16日に刊行されました。CanCam.jpでは大型試し読み連載を配信。危険な遊びへ身を投じたふたりの運命、そして待ち受ける結末とは……。

 顔をあげると、土屋くんは困ったような顔で、わたしをみていた。ズボンをみると、布地はわずかにふくらんでいる。

「なんで?」

 訊ねても、応えはない。

 じわじわじわ、と蝉の声が頭上でひびく。土屋くんの鼻先には、大粒の汗が噴きだしていた。それをみた瞬間、わたしは思い当たった。

 ──……ごめん。

 かすれた声が、頭のなかによみがえる。
 もしかして。コンドームを買えなかったことを、気にしているのか。

 理由がわかると、心がゆるんだ。今日までは、そんなそぶりは一度もみせていなかったのに。意識したとたん、怖くなったのか。あわれみと、かすかな侮りが、笑みとともにゆるくこみあげてくる。

 土屋くんは、真面目だ。真面目で、正しい。いつだって。

 そういえば、姉もそうだった。頭が良くて、勉強が得意で、いつも潔く正しい言葉で舌を濡らしている。ふたりは、とてもよく似ている。

 でも、とわたしはおもう。強度がちがう。姉の正しさは、残酷なくらい強靭だ。圧倒的な美と知に支えられた、手出しのできない、完成された正しさ。

 土屋くんのそれは、ちがう。土を割って顔をだしたばかりの植物みたいに、やわらかくて、隙だらけで、ひどく脆い。わたしの手で、枉げることができるくらいに。

「いれていいよ」

 そう言うと、土屋くんの顔がぐにゃりとひずんだ。泣き出す寸前の、子どものような顔。わたしはできるだけ優しい声をつくって、あやすように言った。

「前みたいに、外に出してくれればいいから」

 怯えきった小動物の瞳が、ぱちぱちとしばたたかれる。

「……でも、やっぱり、やめた方が」
「だいじょうぶだってば」

 耳元で、ささやく。瀕死の獣をけしかけるように。いたぶるように。

「ねえ、はやくしよ」

 土屋くんは泣きそうな顔のまま、ゆっくりとズボンに手をかけた。外れたベルトが地面に黒いとぐろを巻いてゆくのを、わたしは黙って見つめていた。

 土屋くんは正しい。正しくて、弱い。

 手をのばし、つまむようにそこにふれる。あ、と女の子みたいに華奢な声がこぼれる。わたしは彼の性器を自分の熱にあてがい、そのまま、腰を沈めた。

 

 

 結局、その日はつづけて二度、交わった。

 暮れなずむ空のした、廃墟は夏草の波のなかに、しずかに佇んでいる。わたしたちは汗だくのまま、ごろりと草むらに寝転がった。

「さっき、思いだしたんだけど」

 息を整えながら、土屋くんが言った。

「僕、前に一度、ここにきたことがあるかもしれない」

 え、と声が洩れる。

「この庭にもぐりこんでたってこと?」

 彼は首を横に振った。

「まだここが営業してたころの話。なにかのパーティだった」
「ひとりで?」

 もういちど、首を振る。

「家族といっしょに」

 土屋くんの親も、ホテル関係の仕事をしているのだろうか。気になったけれど、なんとなくそれ以上は訊けなかった。

 地面に寝ころんだまま、わたしは円柱の方に目をやった。

 パーティ、という言葉のひびきが、暗く濁った窓硝子に、淡い幻を映しだす。まばゆいシャンデリア、磨きあげられた大理石の床を踏むエナメルのヒール、革靴、ざわめき、笑い声。肉の焼ける芳ばしいにおい。

 うたかたの饗宴の景色の上を、白い魚が泳ぎぬけてゆく。どこにもいけないまま、昏い世界で狂ったように繁栄してゆくめだかの姿が、踊りあかす人々の幻にかさなる。

 わたしたちも、かれらとおなじだ。一瞬きりの快楽を、あとさき考えずにむさぼっている。

 そう遠くない終末から、必死に目を逸らそうとして。

 じわじわじわじわ、と蝉の声が廃墟にひびく。手首を、ちいさな虫が這ってゆく。枝葉のこすれる音がする。わたしたちはちいさなふたつの死体のように、いつまでも廃墟の底に横たわっていた。

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雛倉さりえ

1995年滋賀生まれ。近畿大学文芸学部卒。
早稲田大学文学研究科在学中。
第11回「女による女のためのR-18文学賞」に16歳の時に応募した『ジェリー・フィッシュ』でデビュー。のちに映画化。
最新作に『ジゼルの叫び』がある。

 

写真:岩倉しおり

本作はきららに連載されていた『砕けて沈む』の改題です。
本作品はフィクションであり、実在する人物・団体等とは一切関係ありません。
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(c)Sarie Hinakura・小学館

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