新年を迎える儀式の中でも、日本人として忘れたくない食文化のひとつがおせち料理。
でも伝統食と言われるわりに、いつからあるんだっけとか、元はどんな料理だったんだっけとか、おせち料理のルーツについて語られることって少ないですよね。『和樂』2014年1,2月合併号で発見した「そもそも、おせち料理はいつからあったのでしょうか」特集を元に、1分でわかるおせち料理のルーツをお届けします!
■そもそも「おせち」って何のこと?
「おせち」とは「御節供(おせちく)」が省略された呼称。神に季節のご馳走を備え、それを家族で食べる行事のうち、正月の御節供だけがおせちと略されるようになりました。
■江戸後期の文化・文政時代(1804~1830年)におせちの原型が登場
現在のおせちのレギュラーメンバー、子孫繁栄、五穀豊穣、開運や健康を願う、数の子、田作り、黒豆orたたきごぼうは、この頃に広く全国に普及しました。
■卵料理やきんとんは、明治に入ってから台頭
この頃、きんとん、伊達巻、かまぼこなどが重要な位置を占めていくように。甘かったり口当たりのいいものが増えた感じがしますね。
■実は今の形式が完成したのは昭和だった!
大正時代に料理のバリエーションが増え、昭和に入ってから料理のカテゴリ-別に重箱の各段に対応させていく今の形式が完成。
・1の重…きんとん、伊達巻、かまぼこなど
・2の重…魚などの焼き物
・3の重…野菜、昆布巻などの煮物
・4の重…紅白なますや菊花かぶなどの酢の物
・祝い肴の数の子、田作り、黒豆は別の器か1の重に盛り込む
ルールに従って重箱に詰められたおせちはいかにも伝統食という感じがしますが、実は昭和に入ってから完成したものだったなんて、意外じゃありませんか? 婦人雑誌が普及していくと同時に、その購買層である都市圏の主婦たちが、現在へ続くおせちを広めていったのだとか。今年のお正月はおせちをつつきながら、そんなルーツを話のタネにしてみてくださいね。(安藤美琴)
(『和樂』2014年1,2月合併号)
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