花王が特別協賛する「ネクストとうほくアクション」という、東北のみなさんとともに未来を考え、未来につながる活動を支援していく取り組みをご存知ですか?
2024年、CanCam.jpではそのプロジェクトの一環で、宮城・岩手・福島の沿岸エリアで地元のために力を尽くし活躍する女性たちをピックアップし、ご紹介するプチ連載をお届けしています。
第1回は、CanCam専属モデルの佐々木莉佳子が、地元である宮城県気仙沼市へ。かつて莉佳子も所属した気仙沼のご当地アイドル、SCK GIRLSの3代目リーダーを務めながら気仙沼市役所の観光課で働く鈴木麻莉夏さんと対談で、さまざまなお話をうかがいました。
2回めの本日は、岩手県釜石市へ。
東日本大震災発生当時、8〜9mほどの津波が街を飲み込んだ釜石市は、プロジェクトとしても縁深い場所です。
ひとつは、#Thank You From KAMAISHI。釜石をはじめとした三陸から「ありがとう」をさまざまな形で発信するこのプロジェクトに、2019年、ネクストとうほくアクション(当時「スマイルとうほくプロジェクト」)が釜石市などとともに共催として参加しました。例えば、2019年のラグビーワールドカップ日本大会の会場のひとつとなった「釜石鵜住居復興スタジアム」に飾られた、貝を使ったモザイクアート「ありがとう貝画」は、復興支援への感謝の気持ちを表す象徴的なモニュメント。
今回お話を聞きに行ったのは、ボランティアで訪れたことをきっかけに、釜石で人と地域を繋ぐ人材会社・パソナ東北創生を起業し、代表取締役を務める戸塚絵梨子さん。
地域内外の人材や地域を結び地域での多様な働き方を実現すべく、都市部企業を対象とした研修ツーリズム事業や学生のインターンシップ、ビジネスパーソンの副業兼業マッチング、地域企業の人材支援等を行っています。
戸塚さんのお話を、岩手県で生まれ育った大学生の大上柚さん・今井莉音さんと一緒にうかがいました。
▼今回お話をするのは…
パソナ東北創生 代表取締役 戸塚絵梨子さん
東京都出身。早稲田大学教育学部卒業後、2009年新卒でパソナに入社し、都内企業に向けた人材サービスの営業に従事。2011年の東日本大震災発生から被災地のボランティアに取り組む。2012年に休職し、釜石市内の団体にて、復興・地域づくりの取り組みに従事。2013年にパソナに復職後、継続した地域との関わり方を模索するなかで社内起業制度を活用し、2015年、岩手県釜石市にパソナ東北創生を設立。最近の趣味はキャンプ。
「私は役に立てているの?」思い悩んだボランティアの日々
―本日はよろしくお願いいたします。まず、東京生まれ東京育ちの戸塚さんが釜石で起業…という道を選んだいきさつをうかがっていきたいのですが…たとえば釜石に親戚がいらっしゃったとか、何かご縁があったのでしょうか?
戸塚さん 実は…たまたまです(笑)。もともと、パソナという人材会社に新卒入社して、人材派遣の法人営業として人と仕事をつなぐ仕事をしていました。社会人2年めがもうすぐ終わろうとするタイミングで東日本大震災が発生し、ゴールデンウィークに5日間ボランティアに行き、その後、月に一度のペースで宮城や福島に通いボランティアを行う生活を始めました。
大上さん どんなボランティアをしていたんですか?
戸塚さん 最初はがれき撤去です。その後会社の復興支援の取り組みとして音楽を通して子どもたちの心の健康をサポートする「パソナグループ東北こどもオーケストラ」が立ち上がり、私は子どもたちに楽器を教えるプロジェクトの事務局メンバーとして通い始めました。訪れたのは、福島県郡山市。郡山市は「楽都」と呼ばれ音楽教育が盛ん。当時の郡山は、放射線量が高く、子どもたちは校庭で遊ぶことができず、子どもたちに室内で楽しむことのできる何かを提供できたらという思いで立ち上がったプロジェクトです。。郡山に通うようになって1年経った頃、子どもたちとも仲良くなって、親御さんからも感謝の言葉を頂くのですが…「自分がやっていることは、本当に必要なことなのかな?」と、疑問を抱くようになってしまいました。ボランティアで訪れると「ありがとう」と言ってもらえますが、普段地元の方がどういう風に暮らしているのか、何が本当の課題なのかわからなくて。その状態のまま復興支援をしていることに違和感を覚え、2012年に会社のボランティア休職制度を利用して休職。住み込みで活動をさせていただける受け入れ先を探したところ、紹介してもらったのが、釜石でした。
今井さん 当時のことを思い返すと、大変だったな、と思うことはありましたか?
戸塚さん そうですね…私が釜石に来たのは震災から1年経った2012年でしたが、被災された方々は本当に大変な状況で、私自身が大変かどうかは考えたことがないかもしれませんが、自分の無力感に苛まれることは多くありました。社会人4年目で経験が浅く、自分が思い描くように力になれなくて悔しいと、毎日のように思っていました。
大上さん 休職して釜石に行ったときは、現地でどんな仕事をしていたんですか?
戸塚さん 地元の人が立ち上げたばかりの団体で仕事をさせていただきました。。東北の復興に向けたプロジェクトに取り組むリーダーのもとに、その「右腕」となる人材を派遣する、「右腕プログラム」(NPO法人ETIC.)を通じて、「一般社団法人 三陸ひとつなぎ自然学校(さんつな)」で働きました。県内外から来るボランティアの方を受入れ支援を必要としている現場とつないでいくボランティアコーディネートや、仮設住宅に暮らす子どもたちの学ぶ環境や遊び場づくり等を行う団体で、そのなかでも基盤整備がミッションでした。。ボランティアの滞在スケジュールの管理表を作ったり活動を知らせるパンフレットやwebサイトを制作したり、法人化に向けた準備をしたり、日々忙しく動いていましたが…やっぱり、なかなか現場の人手が足りない状況。パソコンに向かう仕事はそこそこに、私自身もいちボランティアとして、毎日現場に出て、体を動かしてヘロヘロになって帰ってくる日々。「右腕プログラム」で釜石に来て、私は、プロジェクトを軌道に乗せる「右腕となる人材」を期待されていたはずでしたが、半年くらい経った頃、日々を回すことに精一杯で「私は何もできていない」と、無力感でいっぱいになった時期もありました。約9か月の派遣期間終了後、東京に戻り、またパソナの営業として働きました。
―そこから起業を考えたのは、おいくつ頃ですか?
戸塚さん 28歳くらいです。強い覚悟をして起業した、というよりは…正直に言うとタイミングと勢いが大きいと思います。同じく会社を休職して釜石でボランティアをしていた石倉(※パソナの同僚。戸塚さんと社内で同じボランティアグループに所属)と何かできないだろうか、と2年くらいずっと話していました。先ほど話したように、釜石に居た間に何もできなかった、という思いが大きかったので、これからも継続的に関わり続けて何か恩返ししたい、という思いが強かったです。ただ、会社に所属する一社員である自分がどういうポジションで何ができるのか、どうやって何を進めたらいいのか分からない。そんな日々が続きました。けれどそれが急に話が進みだす機会がやってきまして。
戸塚さん パソナグループに、東北復興に繋がる事業を支援する「東北未来戦略ファンド」ができました。パソナグループの代表である南部が「本気で取り組む人に任せたい。」とお話されていたことで俄然やる気が湧きました。また、私や石倉がこのような動きをしていることを知っていた会社の先輩が、ファンドの案件として提案したらどうか、と推してくれたことで一気に話が進みました。。そこで、石倉に「今まで話していた件だけど、会社になるかもしれない。一緒に挑戦しない?」と誘いました。きっと、私ひとりで起業しなさいという条件がついていたら、起業できなかったと思います。何より私、寂しがり屋なんだと思います。高校時代は管弦楽部だったんですけど、曲を演奏する時、自分の楽器ひとつだけでやるのではなく、いろいろな楽器が集まってひとつの曲を作る世界観が好きで。だから、何かをするときは、ひとりよりも仲間と一緒にやりたいんだと思います。
起業してすぐ「これは無理だった」紆余曲折の日々
今井さん 起業して、どういう仕事から始められたんですか?
戸塚さん 最初は首都圏の方々に釜石市に来てもらう、研修ツーリズムから始めました。私自身が、釜石市に来て活動したことで人生が変わるような価値観の変化があったことを原体験として持っているので、それを多くの人に届けていきたい想いがありました。また、ボランティアコーディネートを行っていた経験から、ヨソから人が来ることで地域の取り組みが前進する場面も多く見てきました。そのような出会いをたくさん作れたら、という想いもありました。本音で言えば、東京に復職してから、被災地に関心がある人たちを募って釜石近辺へのボランティアツアーを企画していたこともあって、「何をしよう」の初手が、まずそれしか思いつかなかったという側面もあります(笑)。人が来ることで、地域の企業の方のためにもなっていく取り組みができたらいいなと。それで「地域で学ぶことが、地域のプラスになる」というようなコンセプトで研修ツアーを始めたのですが…やり始めてすぐに「これは無理かも…」と思ってしまって。
大上さん どうしてですか…?
戸塚さん まずは、「釜石に行きます」という企業に出会えませんでした。ボランティア休職時代は、日々こちらが呼ばずとも来てくださった方に接していたので、たくさんの人が関心を持って来てくれる場所だと思っていたんですね。でも、当時の私たちの営業力の弱さも大きな原因ですが、いざ「来てください」と営業して来てくれる企業は、そう多くない。また、これまでは大きな組織に居ましたが、立ち上げたばかりの会社で2人しかいない中での首都圏企業への営業は、時間や数の面でもなかなか大変でした。さらに、仮に営業がうまくいってたくさんの企業が釜石に来てくれたらどうなるか。研修ツアーを受け入れる地元の企業は、本業の仕事の手を止めて対応する必要があります。これを受け入れ続けるのは、負担になってしまうのではないか。
さらにもうひとつ「人が来て、地域活性化して、企業のプラスになる」という理想像を描いていました。でも、それを実現するには、地域の課題、それぞれの企業の課題、どういう人が来て、どこでどんな働きをしたら地域が良くなるか、いまのままではその解像度が低すぎる、と気付きました。人を呼び込むのも大事ですが、その前に、もっと地域のことを知って、中長期的な視点の仕事を増やしていかなければいけない、と思いました。そこから試行錯誤して、大学生のインターンシップを受け入れる事業を始め、今では「釜石以外の人を呼び込むこと」「地域でいろんな働き方をする人を支援する」の2つの軸で釜石に外から関わる人、地域で暮らす人、両方に向けての事業を行っています。
―具体的にどのようなことをやっているのでしょうか?
「釜石以外の人を呼び込む」は、釜石をはじめとした三陸の沿岸部で行う企業向けの研修ツーリズム、「越境学習」と呼ばれる、今いる職場を離れて学びを得る研修、そして大学生のインターンシップのコーディネートやビジネスパーソン向けには副業・兼業という形での地域企業とのマッチング・コーディネートを行っています。
「地域で働く人を支援する」は、企業の採用支援、人材育成研修。今その企業にどんな人が必要か整理し、どこでどんな内容で募集するか求人内容の作成、求人に応募してくださった方と企業のマッチング、入社後のフォロー等企業の状況に応じて様々なサポートを行っています。また、釜石市の事業として、就労と移住の支援をまるごと一箇所で担っている「しごと・くらしサポートセンター」にある、就労支援や採用、育成支援を行う「ジョブカフェかまいし」の運営も、大事な柱です。
大上さん 旅行や移住関連のお仕事もされているということで…私が生まれ育った普代村は自然豊かで海産物が美味しい場所で、もっと来てくれる人が増えるように広めていけたらいいなと思うんですが、戸塚さんだったらどう考えますか?
戸塚さん そうですね…「めちゃくちゃ美しいイメージだけ打ち出したところ、来た人が思ってたのと違う、になってしまう」が発生しないようにするといいですね。たとえば移住だと「うちの町にはこういう特徴がある。」というところに対して魅力を感じたり共感したり「そういう場所に行きたい、働きたい」という暮らしや働く上でのニーズがマッチすると、移住したあともそのまちで暮らすことが幸せであり続ける。だから、その地域が持っている魅力がどういう人に響くのかな、どういう人が来て、どう過ごしたら幸せになれるかな…ということを考え続けています。大上さんは、どういう人に普代村に来てほしいと思いますか? 「自然が好きな人」なのか「こういう風に暮らしたい人」とか、なんでも大丈夫ですよ。
大上さん うーん…今思ったのは「ずっと都会にいる人」な気がします。
戸塚さん なるほど。「都会に住んで疲れている人」に週末に普代村に来てもらうプログラムを作るとしたら、きっと土日にフルでスケジュールを詰め込んで連れ回すプランじゃなくて、ゆったり楽しめるプランのほうがいいだろうな、じゃあその中で地域の魅力を伝えるならどうしたらいいだろう、というところを調整していきますかね。大上さんは大学を卒業したら地元に戻る予定ですか?
大上さん 今のところその予定です。
戸塚さん すごい。若い方が学びに出て、地元に戻ってきてくれるって本当に嬉しいと思いますよ。でも、もし大人たちが変な期待をかけてきたら、そこは気にしなくて大丈夫(笑)。楽しく生きているのがいちばん! 今井さんは卒業後はこうしたいな、など考えていることはあるんですか?
今井さん まだ大学1年生なので考え中ですが…国際関係が気になっています。小学校の頃に英語って面白い、英語しゃべれるってかっこいいと英会話教室に通わせてもらって。そこから今もそういう仕事ができたらいいなと、フワッと考えているくらいです。あとは何かキラキラした感じの仕事がしたい…と思うんですが、岩手だとあんまりないので、県外で働きたいな、と思っていたんですが、今日の話を聞いていると、意外ともっと視野を広げると、自分に合った仕事が岩手でもあるのかな?と思うようになりました。
戸塚さん そうそう、岩手にいても、県外に出ても、どっちにもいいところも悪いところもあります。でも、視野を広げていくことはとっても大事です。
大上さん ひとつ質問で、今、経営の授業を取っているんですが、「最初の時点では起業を考えて釜石に来たわけではなかった」とおっしゃっていましたが、経営の勉強ってされたんですか?
戸塚さん 教育学部出身なので、大学ではしてないです…。理論と実践は違う、とは言いますが、もししっかりと勉強した状態で起業していたら、「もっとうまくいったかな、苦しむことが少なかったかも」と思うので、勉強して損は絶対にないです。。会社を始めてからいろいろな問題にぶっつけ本番でたくさんぶち当たり、勉強と実践を繰り返しつづけました。いろいろな困難があって八方ふさがりになり、問題に向き合いながら本を読んで学んだり…でも、まったく本の通りにならないので(笑)、当時は「全然違うじゃん!」と思っていたけど、後から考えると繋がっているんですよね。学ばずに会社を始めた宿命として、定期的に行き詰まるときが来るので、行き詰まったら本を読んで学ぶ。するとある日、前は納得いかなかったことでも「そういうことか!あれ、いいこと言ってるな」と気づく日が来るんです(笑)。
「まちの人事部」という概念を広めたい。
―初めて釜石に来たときから今まで、10年以上が経ちました。戸塚さんから見た釜石は、どう変化していきましたか?
戸塚さん 初めに釜石に来たときは震災から1年が経っていましたが、それでもまだ町は、がれきでいっぱいで、夜になると信号もなく真っ暗で、見渡す限りひとつも建物がないような場所も多かったです。その後復興が進み、浜がきれいになって漁業が再開し、建物が建って、街が復活していきました。けれどひとつ、ネガティブに聞こえるかもしれない変化をいえば、震災から10年経ったタイミングで、支援してくださった人も、企業も、お金も、一気に激減しました。もともと「震災から10年で一区切り」という期間の定めのあるプロジェクトが多かったので当然のことだし、それは復興が進んだという証左でもあるのでポジティブな変化ですが、復興のフェーズの中で立ち上がった私たちは何者なのか?を問いかける機会になりました。自分たちも一つの区切りをつける選択肢もありましたがどうしてもそれを選ぶことはできなかった。地域と関わることや豊かな生き方をする人を増やすこと、自分たちのミッションを問い直し、自立して「事業者」として事業を運営していく自覚がより芽生えました。
―釜石に暮らすひとりの個人として感じる変化や魅力はありますか?
戸塚さん 私個人の話だと、同世代の移住者の友だちとよく集まっていましたが先ほどの話の通り多くの方が釜石から離れてしまったことでここ数年、時間の使い方や趣味が変わってきたかもしれません。そうそう、キャンプによく行くようになったんですが、岩手で星を見上げると、上にも横にも星があって、本当にびっくりするくらいキレイで…「地球って丸いんだな」と、改めて感じるようになりました。私は東京で生まれ育ったので、星といえば夜空に2つくらいあるかないか、というのが当たり前。プラネタリウムに行くと星が多さやドーム型をした形状にも違和感を覚えるほどでしたが、釜石に来て「ああ、プラネタリウムこそが本物の地球の姿なんだ」としみじみ思いました。。
あと、大上さんと今井さんは岩手で生まれ育っているのでピンと来ないかもしれないんですが、何より食べ物が素晴らしい。東京から釜石に来て驚きました。ご飯粒も甘くて美味しいし、定食屋さんで出てくる付け合わせのキャベツやトマト、きゅうりが全部違う。もちろんウニも別物。わかめってこんなにシャキシャキしているんだと、すべてにおいて感動しました。
今井さん 確かに、私が住んでいる花巻も夜空や自然はすごくキレイだな、とは思うんですが、食べ物はずっと当たり前のことなのでピンとこないかもしれません…。
戸塚さん すごく恵まれてますよ(笑)!
―最後に、戸塚さん、そしてこれからのパソナ東北創生が思い描く未来を教えてください。
戸塚さん 釜石で「まちの人事部」の機能を担うこと、そしてそれを釜石外にも広げていきたいと思っています。「まちの人事部」は、釜石全体をひとつの会社だと考えて、「どんな場所で、どんな人材が活躍すると、地域全体が良くなるのか」を考える、地域の人事部というイメージです。
この「まちの人事部」という概念は、きっと「こういうものがあったらいいな」とぼんやり思っているものの、「それが世の中にある」と認識していない企業さんが、日本全体で見ればほとんどだと思います。特に地方では「人を採用する=ハローワークを使う」以上の何かがある世界を、まだまだ想像していない人が多い。そうなると、存在を知らないので短期的なニーズはないように見えます。でも「企業や地域の人材問題に困っているけど、それを何で解決したらいいかわからない」という方が「まちの人事部」という概念を知ると、「それだ!」と思ってくださる方もいると思います。
地元の人材をどう活かすのか、そして足りなければ、どうやって外から人を呼んでくるのか、人材支援を通した経営支援まで、企業に伴走して考えます。今、私たちは釜石でこの取り組みを行っていますが、他の地域でも「何か取り組みたいけど、なかなか人を呼び込めない」というお悩みをよく聞きます。そこで、今すでに地域にある商工会議所や地銀が持っている機能に、「まちの人事部」の機能を掛け合わせていくことは、不可能ではないと思っています。
私たちが実際にお会いできる企業の数にはどうしても限りがありますが、その「まちの人事部」自体の導入支援ができれば、もっとそれぞれの地域で、たくさんの企業の課題解決ができる。そうやって、私たちの取り組みを「釜石モデル」として、他の地域にも展開して、日本全国、さまざまな地域のお悩み解決に繋げられたらいいな、と思っています。
仕事が変われば、人生は変わる。釜石にボランティアで来たことで人生が変わった戸塚さんは、今まさに、現在進行形で多くの釜石の人の人生をより良い方向にコーディネートすべく、尽力しています。この「釜石モデル」がどう広がっていくのか…要注目です。
明日は、福島県富岡町へ。学生時代に原子力を研究、震災を機に福島に移住し、35歳で町の議員に立候補し当選した、辺見珠美さんの話をうかがいます。
花王が支援する取り組みで、東北の3つの新聞社である岩手日報、河北新報、福島民報が手を取り合って、東北の皆さんとともに未来を考え、未来につながる活動を推進していく取り組み。現地の高校生・大学生とともに行うプロジェクトや東北に花を咲かせるプロジェクトなど、さまざまな取り組みを行っています。
公式サイト https://smile-tohoku.jp/
協力/花王グループカスタマーマーケティング株式会社