OK Goの最新MVを担当!教科書も出版!?今もっとも熱い振付ユニット、振付稼業air:manインタビュー(1)

2014年10月29日にリリースされ、すでに1570万再生を超えているOK Goの最新MV『I Won’t Let You Down』。今回は日本を舞台に選び、HONDAとコラボレーション、さらに日本のトップクリエイターたちが参加しているということで、さらに注目の的になりました。そんなOK GoのMV撮影に参加した日本のクリエイターのひとり(一組)が、振付稼業air:man。

元祖「動くものならなんでも振付けます!」をキャッチコピーに活動する彼ら。2008年には手がけたユニクロのウェブCM「UNIQLOCK」が、世界三大広告賞すべてでグランプリを獲得し話題になりました。2014年11月には、そんなair:manが中学校で必修科目となった「ダンス」の授業にまつわる悩みを解決すべく“教科書”を出版。

この『振付稼業air:manの踊る教科書』(¥2,160/東京書籍刊)は、Amazonベストセラー商品ランキングの「ダンス・バレエ」のジャンルで1位に(2014年12月9日時点)。振付師という裏方職業がゆえ、本人たちを見たことはなくても、その仕事は誰しもが必ず目にしたことがあるというユニット、振付稼業air:manを率いる杉谷一隆氏にお話をうかがってきました!

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OK Go『I Won’t Let You Down』

Woman Insight編集部(以下、WI) 飛ぶ鳥落とす勢いの振付稼業air:manですが、これまでの経歴をおうかがいできますか。

振付稼業air:man・杉谷一隆さん(以下、杉谷) 1996年に今のair:manのベースを立ち上げました。もともとはお芝居をやっていたのですが、自分たちだけでお金を回していくのって大変で。お芝居をやる劇場を借りるのもお金がかかるので、経費削減しようということで、ライブハウスを借りてやり始めたんです。そうすれば、音響さんやオペレーターさんも込み込みでお願いできるので、少し安くなります。

しかし、いざライブハウスでやろうとすると、劇場だとセリフに合わせて照明を操作してもらったりという細かい演出ができるのですが、ライブハウスではそこまでのことはお願いできない。だったら、ライブハウスに合わせた仕様のお芝居にするため、音楽を増やそうということになりました。

それで音楽を増やすなら踊りを増やそう、とやっているうちに、いつの間にか踊りの間にセリフが入るという形に。すると不思議なものでだんだんお客さんが入り始めて、クラブの大箱でやるような動員数になりました。そのころは90年代半ばのジャパニーズヒップホップの人たちがたくさん動いていた時期だったので、クラブで芝居と踊りの中間をやる変なパフォーマンス集団という位置づけになったんです。

WI 当時はどこの箱(クラブ)が多かったんですか?

杉谷 clubasiaが基盤でしたね。あとはVUENOSとかWOMBとか。イベント形式になって、さらにどんどんお客さんが増えたので、売れる前のアンガールズさんたちとか、ラッキィ池田さんとか、サエキけんぞうさんにも声掛けして、いろんな人がごちゃまぜに出るイベントにしたんです。そのうち、渋谷のCulture of Asiaグループ(※編注 clubasia、VUENOSなどを運営する渋谷地区の老舗エンタテイメントグループ)4店舗を借り切るような大規模なイベントになって……。

そこにテレビのプロデューサーが来てくれて、個人名義では既に振付の仕事は請け負ったんですけど、「もう少しちゃんと振付をやってみない?」という話になって、最初はフジテレビの子供番組『ポンキッキ』の振付を担当するようになったんです。

air:manの相方の菊口という女性がいるんですが、彼女は高校生のころから振付師のアシスタントとして、セーラー服で木村拓哉さんの振付をしていたような、根っからの振付師なんです。

当時は(今でもですが)、振付師になるシステムっていうのが確立していなくて、僕のイベントにたまたま来ていた彼女と話していたら「このままだと、私は振付師になれなくて、一生アシスタントで終わってしまう」という想いを切々と僕に語り始めたんです。クラブで(笑)。で、それを聞いて「どうしましょう」と言ったら、「どうにかしてください」と言うんですね。それでうーん、と考えて、「じゃあ1回、振付師とかアシスタント、とかじゃなくて、複数でみんなが振付師で、みんながアシスタントでもあるユニットを作ってみる?」と言ったんです。

そのころは海外で、ディレクターのユニットやデザイナーのユニットがちらほら出てきていた時期。それが振付という職業でも当てはまるんだろうか、しかも日本で。という気持ちがあったので、まずは1年限定でやってみようか、ということになったんです。それが2004年かな。そういうふうに菊口が僕のところに話しに来てくれなかったら「振付稼業」というのはなかったかなと思います。変な話、僕はイベント(の収益)でけっこう今までのマイナスを取り返せるなという感じだったので、「このままイベンターになっていくのかしら」となんとなく思っていましたね。

WI そのときは杉谷さんご自身も何で食べていこうというのは決めていなくて、そのときの状況で考えていけばいいかなと思っていたんですね。

杉谷 恥ずかしながら、そうでしたね。そのころは個人で振付もやって、お芝居もやって、自分の中である程度やりたいことはやっている自覚がまぁまぁ多少はあったので、何かに特化して本腰を入れていこうと思ったのは、やっぱり彼女に会った影響でしょうね。

メンバーの菊口さんからの訴えが振付稼業air:man設立のきっかけとなったという杉谷さん。でもその場で、やってみよう!とりあえず1年!とすぐに決断できる柔軟さはなかなか持てるものではないですよね。さらにインタビューは続きます!(安念美和子)

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『振付稼業air:manの踊る教科書』(¥2,160/東京書籍刊)
http://www.amazon.co.jp/dp/448780796

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