老若男女問わず、日本人にとって最も馴染みのあるアニメーションといえる宮崎アニメ。数々の作品を「平和学」の視点で読み解くと、いったい何が見えてくるのか? 10月1日に発売されたばかりの新書『ジブリアニメから学ぶ宮崎駿の平和論』の著者である創価大学平和問題研究所助教・秋元大輔さんに、ジブリ作品の平和学的な考察をうかがいました。
Woman Insight (以下、WI) まず、「平和学」というものは、どんな学問になるのでしょう?
秋元大輔さん(以下、秋元) 定義をそのまま述べると、「戦争の諸原因と平和の諸条件に関する科学的な研究」となります。なぜ戦争が起こるのか? ということに加え、戦争のない状態が平和と限らないので、さらに平和の条件を考えていくのが平和学ということになります。国際関係論・国際政治学という非常に近い学問はあるのですが、それに比べると平和学のほうは冷戦期、1950年代ごろからようやく興ってきた比較的新しい学問です。
WI 国際政治学と平和学は、どのような違いがあるのでしょうか?
秋元 国際政治学はその言葉通り、国と国の政治的な関係をメインに扱って戦争を研究しますが、戦争そのものを否定はしません。あくまでも冷静に現実的に分析する。「平和学」は平和を達成するという主観が入っている。平和のために何ができるのかという、そこが大きな違いなんですね。ですので国家間の関係だけでははく、NGOだったり、国連など国際機関を重視する傾向にあります。平和研究だけでなく、平和運動、平和教育も含む幅広い学問になります。おかげさまで大学での講義はかなり人気があります。ジブリを扱わせていただいているので(笑)。昨日も講義で『天空の城ラピュタ』についてお話させていただいたのですが、学生たちは深くうなずいていました。
WI 宮崎アニメが好きだから平和学を志したのですか? それともはじめに平和学がありきで宮崎アニメを題材として選んだのでしょうか?
秋元 平和学のほうが先でした。もともとミクシィで平和学の視点からジブリアニメを分析してきたのですが、本としてまとめたいと思ったのは『風立ちぬ』がきっかけでした。最初からこれを映画評としてまとめようという決意のもと映画館に足を運びましたね。それまで、ミクシィでは『風の谷のナウシカ』など、いわば趣味的に扱ってきたのですが、初めて学術的に考察しようと思ったのは昨年の『風立ちぬ』が最初なんです。
WI 『風立ちぬ』のどのあたりが心に響きましたか?
秋元 零戦そのものについてはそこまで詳しくはなかったんですが、いちばん響いたのは、『風立ちぬ』を見た瞬間、これは『火垂るの墓』(高畑勲監督のもと、スタジオジブリが制作)と「原因と結果の関係」になっている! とひらめいたんです。高畑監督は『火垂るの墓』で戦争の悲惨さ、被害者としての日本を描きましたが、もともと原因となったのはやはり零戦である、と。『火垂るの墓』で描かれた「B29」の原因をつくったのは零戦。ただ映画の中では、宮崎監督は、戦争を糾弾しようとしていないんですよね。
WI 淡々と描いていますよね。
秋元 主人公の堀越二郎に関しても、かなりかばうような形で、「美しい飛行機をつくりたかっただけである」ということをのちに監督自身が述べています。直接的に戦争そのものを描いていませんし、日本の戦争責任も直接的には問うていません。
WI 一部批判もかなりありましたね。
秋元 そうですね。韓国からは「戦争美化」と言われて、ネット右翼からは「単純すぎる反戦・平和主義」と叩かれましたが、テーマ的に批判は避けられないと思います。それでも、最後にあの作品をもって宮崎監督が長編アニメからの引退を決めたというのは、彼なりの反戦・平和主義や「生きねば」というメッセージを最後に表明したかったのだと思います。そして平和学的には、戦争を忘れてはいけない、というメッセージだったのだと読み解けます。これは、主人公で堀越二郎が軽井沢で出会うドイツ人カストルプの「ニホンジン、ワスレル、ニホン、ハレツする」という言葉に表徴されていると思います。あからさまな反戦の意図はくみ取れませんが、戦争を批判するというのではなく、「忘れてはいけない」と。主人公の堀越二郎もあくまで職人として敬っているわけです。
2013年に長編アニメ制作からの引退を表明した宮崎駿監督。『風立ちぬ』は、宮崎アニメのひとつの集大成であるのは確かですね。さて、次回は平和学の視点で読み解く『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』です。お楽しみに。(ナスターシャ澄子)
★2回目はコチラ→ 「ジブリアニメから学ぶ宮崎駿の平和論」著者インタビュー(2)
★3回目はコチラ→ 「ジブリアニメから学ぶ宮崎駿の平和論」著者インタビュー(3)
『ジブリアニメから学ぶ宮崎駿の平和論』秋元大輔著・小学館新書
定価:本体720円+税
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