後悔している。両親に対する罪悪感も、ある。
けれど、どこかでまだ、物足りないと感じている自分がいた。
日常からの逸脱を怖れるわたしと、非日常の快感をもとめるわたし。
上へ、上へ。下へ、下へ。正反対の欲求が、ひとつの体を引き裂こうとする。
涙でぼやけてゆく頭のなかで、土屋くんに抱きしめられたときのぬくもりだけが、遠い星のひかりのように、いつまでもぼんやりと灯ともっていた。
コンビニの自動ドアがひらくと、乾いた冷気が頬をなでた。陽が落ちる前にもかかわらず、店内の照明は、あかるい光を放っている。
スナック菓子、カップラーメン、おにぎり、ジュース。狭い棚につめこまれた商品はどれも、いつものスーパーで見かける値段より数十円ずつ高い。毒々しいほどあざやかなパッケージは、白熱灯のひかりを浴びて、どこか青ざめているようにもみえた。
「あった」
雑貨の棚の前で、彼が立ち止まった。化粧品、個包装の生理用ナプキン、マスク。陳列された商品の端に、煙草ほどの大きさの箱がならんでいるのをみて、どきりとする。
シンプルな黒地に、白でそっけなく数字が印刷された箱もあれば、砂糖菓子のような淡い色づかいの、可愛らしい箱もある。
「どれがいい?」
そんなの、わたしに訊かれても困る。
文句を言おうと口をひらくと、視線がぶつかった。困り果てた目で、すがるようにわたしをみている。仕方なく、わたしは彼の隣にしゃがみこんだ。
避妊具を買おうと言い出したのは、土屋くんだった。
生物の精子と卵子が受精すれば、着床する。百パーセントとはいわないまでも、性行為にはつねに妊娠の可能性がともなう。妙に角ばった言葉で、彼は言った。
受精。着床。妊娠。それらは教科書に印刷された文字であり、テスト用の暗記用語でしかなかった。いまいちぴんとこないまま、わたしは訊ねた。
──それで、どうしたらいいの?
──いちばんかんたんなのは、ゴムだと思う。
──ゴム?
──……コンドームのこと。
流行りのポップスが、やけに軽い音でスピーカーから流れている。店内に、ほかの客の姿はない。
「これは?」
わたしは適当に手に取ったうすいブルーの箱を、土屋くんに渡した。彼はしばらく側面を見たり、裏返したりしたあと、「買ってくる」と立ちあがろうとした。
そのとき、店内にかろやかな電子音が鳴り響いた。
「あー涼し。ほんと天国」
「アイスどこ?」
「おなかへったー」
村西さんの声に、似てる。
おそるおそる覗くと、部活動の帰りらしい大柄な女の子たちがなだれこむように入ってくるところだった。うちの陸上部のジャージだ。土屋くんは腰を浮かしかけたまま、箱をすばやく棚に戻した。
女の子たちは狭い店内に散らばって、お菓子やジュースを物色している。気まずくなって、とっさにわたしは立ちあがった。土屋くんは、罠にかかった小動物の目でこちらを見てくる。
仕方なく、わたしは言った。
「出よう」
土屋くんは、どこかほっとしたように立ちあがった。すこやかに日焼けした女の子たちのあいだを縫い、訝しそうな店員の視線を振り切って、外に出る。
夏の夕方のぬるい風が、頬をかすめた。昼間は煮えたぎるようだった空気は黄色く乾き、町の底に重たく沈みこんでいる。
土屋くんが、おずおずと口をひらいた。
「ほかのコンビニ、行く?」
「もういい」
わたしは、ため息を吐いた。店にいた時間はほんの数分だったのに、ひどく疲れていた。
「……ごめん」
憔悴しきった声で、土屋くんがつぶやいた。店内は寒いくらい冷房が効いていたのに、鼻の頭に無数の汗粒が浮いている。
「だいじょうぶだよ」とわたしは彼をなぐさめた。
「それより、日が暮れる前に場所を探さないと」
雛倉さりえ
1995年滋賀生まれ。近畿大学文芸学部卒。
早稲田大学文学研究科在学中。
第11回「女による女のためのR-18文学賞」に16歳の時に応募した『ジェリー・フィッシュ』でデビュー。のちに映画化。
最新作に『ジゼルの叫び』がある。
写真:岩倉しおり
本作はきららに連載されていた『砕けて沈む』の改題です。
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(c)Sarie Hinakura・小学館