吉永さんは「若い人の中には、広島や長崎で何が行われたか知らない人が増えてきています。これから私達がどんな風に歩いていかなければいけないか。感じていただければ」と語ると、「家族の悲しい映画ですが、辛い過去からどうやって立ち直っていくかを考え生きてきた。3年の間どうして生きていいか分からない思いで、息子に亡霊として出てきてもらって、新しい自分を取り戻していく。70年という節目の年に、戦争のこと、命のことを考えてもらえるのは、素晴らしいこと」とメッセージを伝えました。
そんな母親を演じた吉永さんと、息子役の二宮さんは、現場でファーストネームでお互いを呼び合っていたそうです。
そのことを聞かれ二宮さんは「“カズナリさん”と呼んでいただいていたんですが、ドキドキしちゃいました。家族や身内にも1回も呼ばれたことがなかったので、僕の“初めての人”になりました。“カズヤ(和也)と書いて“カズナリ”なので、読み間違えるひとが多く、初めての現場では僕も半ば“カズヤ”でもいいかなと諦めているんですね。でも第3者の人がいるときは必ず“カズナリさん”と呼んでいただいて、暗に『わかるよね。“カズヤじゃないのよ。カズナリよ”』と宣伝活動を毎日してくださって。『カズヤでいいや』と思った自分をぶん殴ってやりたい(笑)」と感謝の気持ちを伝えると、吉永さんは「どういう風に呼んでいいのか分からなかった時、すーっと『小百合さん』と呼んでくださって、もう感激してとっても嬉しくって、距離がグーンと縮まった思いがしました。撮影の時は、『本当の母親といる時間よりも、(私といる方が)長い』と言ってくださって、撮影が終わった後もテレビを見ていて危険なことをしているシーンを見ると、ドキドキしちゃって『大丈夫かしら、うちの息子』って」とすっかり母の心境のようです。
息子を演じた二宮さんへ、母を残して去った息子の思いを尋ねられると「母を残して行った……」と一瞬考え「あ。そうですね。何も考えずに普通に考えると親不孝者だと考えます」と二宮さんとしての気持ちを伝え、息子・浩二として「3年という期間も含まれると思うんですが、浩一自身は『なんで、どうしてこうなったのか分からない』不幸者だと。原因があって巻き込まれてどうにもできない“もやもや”した気持ちはありますが、町子に対してもですが、残してきてしまった後悔の念はなかったです」と語り、実際に突然亡くなったからこその思いを語りました。