CanCam専属モデル・佐々木莉佳子が、今年も生まれ育った出身地・宮城県気仙沼市に帰ってきました!
この記事は、花王が特別協賛する「ネクストとうほくアクション」という、東北のみなさんとともに未来を考え、未来につながる活動を支援していく取り組みの一環。CanCam.jpではそのプロジェクトの中で、気仙沼(宮城)・釜石(岩手)・富岡(福島)の、東北3県の沿岸エリアで地元のために力を尽くし活躍する女性たちをピックアップし、ご紹介する全3回のプチ連載をお届けします。
第1回は、気仙沼のご当地アイドルからそのご縁と今に繋がる人生が始まった「まりか」こと鈴木麻莉夏さん、「りかこ」こと佐々木莉佳子。気仙沼を愛するふたりのお話です。
2024年6月、約10年所属したアンジュルムを卒業した莉佳子。アイドルとしてのルーツも、生まれ育った気仙沼にあります。東日本大震災を機に「震災から立ち上がり、地元気仙沼に活気と笑顔を取り戻そう」ということを目的に結成されたご当地アイドル、SCK GIRLSに加入したことから、莉佳子のアイドル人生は始まりました。
気仙沼周辺で行われるイベントをはじめ、仮設住宅、気仙沼駅前など、さまざまな場所で被災地のアイドルとして歌い踊り、気仙沼の人々を元気づける日々。その当時一緒に活動をし、現在もSCK GIRLSで「まりか」として3代目リーダーを務める鈴木麻莉夏さんは、アイドル活動の一方で、平日は気仙沼市役所の観光課で働き、365日気仙沼に愛と情熱を捧げています。
コロナ禍のNHKのテレビ番組でリモートで共演したことはあるものの、実はしっかりと対談をするのは初めてだというふたり。莉佳子のアイドルのルーツ、そして小中学生からの仲だからこそ話せる話、気仙沼の中と外から見た気仙沼の話。
震災当時は、9歳と12歳。大人の人たちに夢を持たせてもらった子どもだったふたりが、気仙沼の多くの人に夢を与える大人になるまでを、盛りだくさんでお届けします。
愛あふれる「みんなの故郷」、気仙沼
2011年秋、まだ震災の爪痕が深く残る気仙沼の街で、SCK GIRLS(当時SCK45)は誕生しました。ボランティア団体のSimCity気仙沼が「好きなことを思いっきりやりたい想いが抑制されてしまった子どもたちの笑顔を取り戻そう」と9月に立ち上げ&募集広告開始、10月1日にオーディション、翌月11月3日の「お伊勢浜らいぶふぇすた」でお披露目。
―最初に、まりかさんがSCK GIRLSのリーダーを続けながら、実は気仙沼市役所の観光課で働いていると知ったとき驚き、今回の取材をお願いしたのですが…どうして市役所で働くと決めたのでしょう?
まりか これまでのSCKのメンバーは進学や就職を理由に卒業した子もいるけど、私はSCKを続けたかったんです。もともと進学志望でしたが、気仙沼付近には大学がありません。高校3年生の途中までは受験勉強をしていましたが、「私が大学で学びたいことは、気仙沼で仕事をしながらでも学べるんじゃないか」と気付き、途中から就職希望のクラスに移り、一旦民間企業に就職しました。けれど、担当のお客さんとしか接点がなかったこともあり「SCKと両立できて、もっと気仙沼のことを広く見られるお仕事ってなんだろう」と探したら…そうだ、市役所だと。ふたつの部署を経て、今は観光課に配属されて5年めです。観光PRの仕事をしていて、webサイトの記事更新、雑誌の原稿確認、「あったげホヤぼーや」などイベントの運営、気仙沼の観光キャラクター「海の子ホヤぼーや」のマネージャーなど、裏方の仕事をしています。テレビや雑誌の方にロケ地のおすすめを聞かれて、どんな絵が欲しいかを聞いて提案させていただくこともあり、幅広いお仕事をさせていただいています。SCK加入当時、私はまだできないことばかりの中学生でした。でも今は27歳になって、私なりにできることが増えてきました。学生のときに出会った街の皆さんの情熱を自分なりに勝手に継いで、気仙沼に熱を絶やさないようにしたい、という気持ちで、たくさんの人に楽しんでもらえるよう、日々頑張っています。
―おふたりにとって、気仙沼はどんな街ですか?
りかこ 「ほっとするみんなの故郷」だと思う。
まりか 気仙沼は港町で、昔から外からたくさんの人たちが来るのが当たり前。船に乗ってやってくる皆さんを「お魚を獲ってきてくれて、お仕事頑張ってくれてありがとう」と迎え入れるから、誰がいつ来てもあたたかく出迎える、ウェルカムな気質があるよね。漁に出かけるときはみんなで見送って、帰ってきたらおかえりと迎えて。そして漁師さんたちが獲ってきた美味しい魚が市場に上がって…。私は地元にいながらそういう人でありたいし、莉佳子が「気仙沼は、愛があふれて、あったかくて、いつでも帰りたいと思える街」だと言ってくれるから、帰ってきたときにそういう街だと映っていたら嬉しいな。
りかこ そう思ってるよ! それに、気仙沼に帰ってくると、早寝早起きしたくなって、時間の使い方が有意義になる。ちっちゃい幸せもいつもよりさらに見つけやすくなるし、ゆったりしているから、東京でせかせかイライラ過ごしている人たちに、一度気仙沼に来てみてほしい。
まりか 莉佳子がいつも気仙沼の外から、「思い出の気仙沼」と「外に出たからこそわかる気仙沼の魅力」を発信してくれることは、地元に残っている私たちからすると、これ以上ない説得力。気仙沼を内側からも外側からも知っている人が言う地元の良さって、間違いないじゃない?
りかこ ありがとう。私もこれからももっと気仙沼のことを伝えていけたらいいな、と思ってる。震災から10年経った頃、気仙沼出身を公表して、気仙沼の魅力も、震災の話もするようになっていったんだけど…でも実は、ちょっと後悔したこともある。気持ちがなかなか追いつかない時期が長くて、お父さんに「震災関連の仕事がつらいから、今後受けるか悩んでいる」と言っていたこともあったけど…「気仙沼のあの頃の状況を伝えられたり、これからを語れたりするのは、お前しかいないよ」と言われて、目が覚めた。やっぱりあの頃を思い出すと胸がはちきれそうになるし、言葉を紡ぐのは苦しくて、言葉が詰まっちゃうこともある。それくらい私にとっては大きな出来事だし、震災は風化させていってはいけないことなのに、発信できる人が発信していかなければ、みんなそのうち忘れていってしまう。
「ボランティアやらない?」が、まさかのご当地アイドルに。
―気仙沼についてそれぞれの形で発信を続けるおふたりは、ともに気仙沼のご当地アイドル、SCK GIRLS出身。加入したきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
りかこ ずっと震災で落ち込んでいたところに、お父さんが内緒で申し込んでくれていて。本当は中学生以上の募集だったけれど、初代の代表の方とお父さんがもともと知り合いで「どうしても!」と、小学4年生の私にオーディションを受けさせてくれたのがきっかけです。10月、カラオケの広いパーティールームみたいな部屋に行ったら、10人以上いて実際に歌って踊って、SCKに入ると決まりました。
まりか 私は実は結成メンバーではなく、お披露目ステージの翌週から参加です。最初は、すごく要約すると「ボランティアやらない?」と誘われたのがはじまり。普通に街の復興の何かのお手伝いかなと思って、ジャージに軍手を持って指定された場所に行ったら、同世代の子たちが踊っていて「ボランティアとは…?」って、びっくり(笑)。聞いたら「復興支援のボランティア団体がやっているアイドルグループやらない?」が「ボランティアやらない?」にはしょって伝えられたみたいで(笑)。もちろん私は、歌もダンスも未経験。そんな中、「AKB48の『ヘビーローテーション』を歌ってみて」と言われたら、「音痴だな、絶望的だな」と言われたけど…加入した(笑)。気仙沼の震災直後は、明かりもなくて、本当に真っ暗な街。その中で、SCK GIRLSで「歌やダンスで笑顔を咲かせられる立場になりたい」と活動を始めて。何もなくなった街で、いろんな大人の人たちが、いろんなイベントを気仙沼でやってくださって、そのおかげで毎週末気仙沼のどこかで人が集まる場所があって、私たちはそこで歌って踊って、自分たちも楽しんでいた。何もなくて真っ暗だった街でも、イベントをやっているところはすごく明るくて、いろんなコミュニケーションが生まれて。きっと、震災当時はそれぞれ「これからの気仙沼、どうしよう」と迷っていたと思うけど、ひとりひとりがいろんな形で気仙沼にアクションを起こしてくれたことが、今の気仙沼につながっているんだよね。
まりか 当時は校庭に仮設住宅ができて、体育館も校庭も使えない状況で、学校の部活でさえ思うようにできなかった時期。いろいろできないこともたくさんあったから、SCKの活動を始めて、みんなで集まって何かに夢中になれる場所があることが、すごく嬉しかった。それに、初代の代表の方に「夢は自分の中だけにとどめておくんじゃなくて、口に出しなさい」と言われたことも印象的。震災直後の、夢を考えることさえ難しかった記憶がある時期に、そう言ってもらえて夢ややりたいことを考える時間ができて、メンバーそれぞれ「私はこういうことが好きなんだ」と思い直して…。莉佳子は「宇宙一のアイドルになりたい」だったよね。そうやって夢中になったあの頃は、全部思い出。
りかこ 本当に青春! 思い出がいっぱいある。みんな優しくて、私をのびのび生かしてくれて…。
まりか 最初のレッスン場、鏡もなかったの覚えてる? 集会所を借りて、窓ガラスの内側から光を照らすと、私たちの姿が反射するじゃない? そうしてみんなでレッスンして。
りかこ 覚えてるよ! 太鼓の練習場を使わせてもらって。最初は本当に何もないところで踊ってたね。懐かしい〜。
まりか そこから街の状況も少し落ち着いて、仮説の商店街を作り始めたときに、子どもたちの居場所を作ろうとキッズスペースができて、そこでしばらく練習してね。それが本設の商店街になって移動することになったとき、仮設時代に使っていた鏡をそのまま移設させていったんだよね。
SCK GIRLSは、飛び立っていったみんなを出迎えられる「家」でありたい
まりか 今年の5月、アンジュルムとして、気仙沼でライブをしてくれたのも感慨深かった…。一生分泣いたんじゃないかってくらい大号泣したよ。「気仙沼市民会館でライブがしたい」って、前から言ってたもんね。
りかこ そうそう、ずっと言ってた。人で埋まっている市民会館を一回も見たことがなかったから、びっくりした…。
まりか 成人式でも空いてるくらいだもんね。莉佳子が「みなと気仙沼大使」になって、市長とお話する機会があったとき、気仙沼でやってみたいことを聞かれて「市民会館でライブをやりたいです」という夢を話してくれて。それこそ莉佳子は日本武道館だったり横浜アリーナだったり、大きな憧れの会場にも立っているけど、それでも市民会館でライブをして埋めたいと言ってくれたのが嬉しいし、実現したときは、市民会館に見たことないくらい人がたくさんいて「あのとき莉佳子が言ってたことが叶ったんだ」って…。
―アンジュルム気仙沼公演に向けて、来るファンの皆さんに向けて観光案内を作ったり、気仙沼駅にポスターを掲示するなど、さまざまな取り組みをまりかさんが観光課の内側から企画提案して行ったとうかがいました。
まりか せっかくなので「初めて気仙沼に来る皆さんに、何かおもてなしがしたい」と、職場の方や観光関連で一緒にお仕事している方にお話ししました。そこで、気仙沼市公式の観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」でアクセスや莉佳子にまつわるおすすめスポットをまとめて記事に。あとは、ホヤぼーやもお祝いがしたいと言っていたけれど、シャイでなかなか言葉にできないので、気持ちを代弁したポスターを作りました。気仙沼の玄関口、気仙沼駅でまず「ようこそ!」とお伝えしたく、駅の方に「今度、アンジュルムのコンサートが目的でいらっしゃる方がたくさん来るので、おもてなしでこういうポスターを置きたいです」とご相談したら、「駅の広告を全部それにしていいよ」と言ってくださって。駅にたくさんポスターを掲示させていただけけて、街ぐるみでファンの皆さんとアンジュルムの皆さんのお迎えができました! ゴールデンウィーク、たくさんの方が気仙沼をめぐってくださって嬉しかったです。ライブ当日は、気仙沼に莉佳子のメンバーカラーのイエローの服を着た方がたくさん! 市民会館までの道が黄色で、もう絶対に道に迷わないってくらい目印になってた。気仙沼の皆さんも「今日の気仙沼は黄色いね〜」って(笑)。本当に黄色いゴールデンウィークだったね、って話をしてたよ。
りかこ 私ももっと見たかった〜! 会場の前の様子はマネージャーさんが撮ってくださった写真で見たんだけど、まず私、市民会館の前にこんなにたくさん人がいるのを見たことがなかったから、超感動。家族にも友達にも送ったら、やっぱりみんな「こんなに人が来るんだね」って感動していて。最後の最後、夢を叶えてくれた皆さんに感謝です。
―まりかさんは、市役所の観光課の仕事だけでも、平日に加えイベント対応も数多くあると思います。そんな忙しい中、さらにSCK GIRLSを両立して続けられている理由は、どのようなものなのでしょうか?
まりか もともとSCKを始めてくださった方が「これが伝統芸能のように続いてほしい」という話をしてくれていたこともありますし、13年の中で、自分がこうやりたい、こういうグループであってほしいという思いもたくさん芽生えました。でも、いちばんは、応援してくださる方々が「SCKが末長く続くグループであってほしい」という気持ちを持っているからこそ、それを紡いでいきたい、ということ。それに、莉佳子のように、SCKから飛び出していろんなところで頑張っている子たちが帰ってきたときに、もともと自分がいた場所がなくなっちゃうって寂しいな、と思って。「おかえり」と出迎えられる家が、恥ずかしくない場所でありたいと、続けています。莉佳子が卒業後、SCKのセンターになって頑張ってくれたかれん(※現在はアイドルグループ「いぎなり東北産」に所属する橘花怜さん)もそうだし、SCKのメンバーにはいろんな景色を見せてくれる子がたくさんいるから、「みんな元気か〜」って、私はSCKとして気仙沼で待っているんです。
りかこ アンジュルムの気仙沼公演の次の日、ちょうどSCKのライブをやっていたから見に行ったら、本当に、あたたかいぬくもりがあるおうちだった。今度は私が泣いたよ(笑)。やっぱり懐かしくて、涙が出てきて…私の感情の頂点は涙なんだけど、幸せな空間で、思わず泣いちゃった。
まりか あのときは、いちばん最初の曲は莉佳子が振り付けした曲をやったよ。でもね、莉佳子の体力がないと踊れないところはアレンジしてあるの(笑)。
りかこ 全然変えていいよ(笑)。でも私の振り付けを今でも受け継いでやってくれていることも嬉しくて泣いたな。
気仙沼を照らす、それぞれの情熱、それぞれの色。
―震災当時から今に至るまで、おふたりの心境は、どのように変化していったのでしょうか?
まりか 震災のとき、私は家も家族もみんな無事でした。SCKの活動をしている中で、震災をテーマにした楽曲で、感情を歌にしてステージに立たせてもらっていたけれど…正直、自分が経験していない感情を表現するのは難しくて、それが悩みでした。でも、少しずつSCKの活動を通して、街が変わっていく様子、そして街のために頑張る大人たちの熱い心をたくさん見させていただく機会がたくさんありました。経験が蓄積していって、私の中で「2011年3月11日」というものが何か、少しずつ像が出来上がってきました。そしてやっぱり、SCK GIRLSという場所が本当に楽しかったから、「私たちを楽しませてくれてありがとう」から「私たちが皆さんを楽しませる存在になりたい」に、少しずつ変わっていきました。みんなに何を届けたいかが明確になって、SCKも気仙沼もどんどん変化しているけれど、どんな変化があっても、私は気仙沼に熱を絶やさないようにしたい。そういう気持ちで、ずっとやっています。
りかこ (拍手)私もアンジュルムとして活動していく中で、ちょっとずつ気仙沼の色や活気を取り戻せる機会を作れたんじゃないかな、と思っています。私のやりたいことを実現してもらえたことにも感謝だし、来てくれるファンの皆さんがいなかったら、何も成立しない。今は、震災で色を失ってしまった気仙沼に、ちょっとずついろんな人が色を足していっている感じがあって、その鮮やかさがもっと強くなっていったらいいなと思っている。
まりか 莉佳子もまさに、気仙沼に色をつけていっているそのひとりだよ! 莉佳子は夢を叶えるために上京して、目標が明確。けど私は「私ってなんだろう?」と、SCKにいて、ずっと悩んでた。でも今は、楽しいと思える機会をくれた大人の人たちに、ワクワクや楽しさをいっぱいプレゼントしたくて! 今、市役所の仕事では、ホヤぼーや関連のイベントとか、気仙沼の大きいイベントの裏方に携わって、やることもたくさんあって、本当にすごく大変(笑)。でも同時に、みんなと一緒に楽しいことを作ろうっていうことが全部楽しい。私はまだまだ20代で経験が浅いので、いろいろな方から得た知恵や経験を糧にして、自分でもっと楽しいことを企画して発展させていって、それがまたひとつ、気仙沼の色になったらいいなと思ってる。莉佳子は今、気仙沼でこういうことやりたいな、ってあるの?
りかこ 私をきっかけに気仙沼に来てくださる方が、ありがたいことにたくさんいるので、何かを形にしたくて。まず来てくださる方をもっと増やせるように普段のお仕事も頑張りたいし、気仙沼でファンの皆さんと一緒に楽しめるバスツアーをやってみたい! あとはね、また何かの形で、気仙沼市民会館でライブがしたいな。
まりか ねえねえ、気仙沼でフェス開催したいんだよね。
りかこ めっちゃいい! 聞くだけでワクワクする!
まりか 絶対楽しいよね? 今、秋にロックな方々が集まる「気仙沼サンマフェスティバル」はあるんだけど、また別の形で女の子が集まるアイドルフェスというか、ガールズフェスみたいなものがあったら、すごく楽しいなって♡気仙沼に根付いて活躍されている女性の方々も結構いるし、遠くから気仙沼を応援している方も一気に集まって、気仙沼が好きだーって叫ぶフェス。呼んだら出てくれる?
りかこ 平和でかわいい〜♡行く! 絶対やりたい! 私ももっと有名になれるように頑張る!
震災当時9歳と12歳だったふたりが、それぞれにできる形で、気仙沼の愛と魅力を発信し、気仙沼に新たな光とカラフルさをもたらし続ける莉佳子とまりかさん。大人から受けた情熱を受け取り、繋ぎ、自ら発信していく存在になる…その姿は、まさに「希望」のひとことでした。
★ふたりのSCK GIRLS時代のさらなる思い出話や、初めて明かされるアンジュルム気仙沼公演の裏話などは、こちらの記事をご覧ください!
次回は、岩手県釜石市へ。東京生まれ東京育ち、東京で働いていた女性が、震災のボランティアをきっかけに釜石を訪れたことで人生が変わり、なんと釜石で起業するお話です。お楽しみに。
花王が支援する取り組みで、東北の3つの新聞社である岩手日報、河北新報、福島民報が手を取り合って、東北の皆さんとともに未来を考え、未来につながる活動を推進していく取り組み。現地の高校生・大学生とともに行うプロジェクトや東北に花を咲かせるプロジェクトなど、さまざまな取り組みを行っています。
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