『もう二度と食べることのない果実の味を』第20話

17歳で「女による女のためのR-18文学賞」で鮮烈なデビューを飾った作家・雛倉さりえさんの最新作『もう二度と食べることのない果実の味を』(通称:たべかじ)が4月16日に刊行されました。CanCam.jpでは大型試し読み連載を配信。危険な遊びへ身を投じたふたりの運命、そして待ち受ける結末とは……。

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『もう二度と食べることのない果実の味を』第20話


もう二度と食べることのない果実の味を

 週明けの今朝、担任から実力テストの答案が返却された。

 用紙をひらいた瞬間、すうっと背筋がつめたくなった。

「冴、どうだった?」

 いつもの調子で声をかけてきた由佳子は、わたしの顔をみると、気まずそうに口をつぐんだ。

 結果は、さんざんだった。今まで五科目で四百点を切ったことは一度もなかったのに、今回は三百五十点にもとどいていない。黙って用紙をみせると、由佳子はびっくりしたようだった。

「えっ、ぜんぜん取れてるじゃん。落ちこむことないよ。平均もこえてるし、大丈夫だって」

 大丈夫なんかじゃない。叫びたいのをぐっとこらえて、唇を噛む。

 平均なんてどうだっていい。姉よりも、上か下か。わたしにとっては、それがすべてだ。

 帰りのバスにゆられながら、膝に置いた答案用紙をぼんやりと見おろす。紙面は、空とおなじ朱色に染まっていた。

 ずっと、どこかで過信していた。たしかに夏休みの勉強は、計画通りに進まなかった。それでも、今まで勉強したことは、多少なりともわたしのなかにきちんと積みあがっているはずだ。そう信じていた。信じたかった。

 けれどテストは、磨き抜かれた鏡のように、目を背けていた自分の姿をうつしだす。すみずみまで。容赦なく。

 家のドアをあけると、肉の焼ける匂いがした。キッチンに立つ母がふり返る。

「おかえり。今日は生姜焼きよ」

 うん、と力なく答えて席につくと、玄関の方で物音がして、父があらわれた。

 三人がそろったところで、料理の皿がはこばれてくる。いただきます、と手を合わせて、それぞれ箸を手に取った。

「あの」

 食事が半分ほど済んだところで、わたしは言った。

「今日、実力テストが返ってきたんだけど」

 父は手を止めて、顔をあげた。

「そうか。どうだった?」

 どうせいつか話さなければならないのなら、早い方がいい。わたしは覚悟を決めて、足元のリュックから答案用紙を引っぱりだし、ひらいて見せた。

 父の顔が、一瞬、けわしくなった。用紙を覗きこんだ母の表情が、さっと曇る。

 ああ。このひとたちは慣れていないのだ。自分たちの期待が、裏切られることに。

 食卓に、しばらく沈黙が落ちる。最初に口をひらいたのは、父だった。

「やっぱり、今からでも塾に行った方がいいんじゃないか」

 わたしは首を横に振った。

「お姉ちゃんは、ずっとひとりで勉強してたから」
「でも……」
「いいじゃない」

 母が、優しくわたしの手をにぎった。

「冴がそうしたいって言うなら、もうちょっと様子を見ても」

 ね、と母は微笑んでみせる。

「今まで冴ががんばってきたこと、お母さんは知ってるから」

 わたしは、まっすぐ母の顔をみつめた。口元はゆるんでいるけれど、褐色の瞳は微かすかにゆれている。母も、ほんとうは不安なのかもしれない。わたしの成績が、さらに落ちてしまわないか。

 握りしめた答案用紙が、くしゃりと音をたてて潰れる。斜めに跳ねあがった赤い線は、ぱっくりひらいた傷口のようにもみえた。

 

 あくる日の昼休み。授業が終わると、わたしはリュックから財布を取りだした。

「あれ、どうしたの?」

 お弁当の包みをひらきながら、由佳子が訊ねる。

「ごはん買いに行くの。今日、お母さんが寝坊しちゃって」

 朝、居間におりたときはびっくりした。いつもなら朝食の匂いにみちた明るい部屋が、今朝はカーテンすら開かれないまま、死んだように静まり返っていたのだ。途方に暮れて立ち尽くしていると、ばたばたと階段をおりてくる母の足音がきこえた。

 きっと、ただの偶然だ。昨日のできごととは関係ない。それでも、どこかで母に責められているような気がして、差し出された昼食代を、わたしはうつむいたまま受け取った。

 教室を出たわたしは、下足場で靴を履き替えた。九月に入っても、蝉の声は途切れない。陽ざしはあい変わらず凶暴な眩さで、グラウンドを白く灼いている。

 額に噴き出す汗をぬぐいながら校舎に沿って歩いてゆくと、巨大な工場のような体育館がみえてきた。すぐそばの購買部には、ぽつぽつと人が集まっている。ほとんどが教師だったけれど、一人だけ、白いカッターシャツの生徒がいた。見慣れた横顔に、どきりとする。

「……土屋くん?」