おそるおそる呼びかけると、彼はおどろいたようにわたしを見た。そういえば、学校で言葉を交わすのは初めてだ。
「ごはん買いにきたの?」
分かり切ったことを訊ねると、彼は律儀にうなずいた。
「毎日来てる」
会計を済ませたあと、なんとなく連れだって歩きだす。わたしが後ろからついていっても、土屋くんは何も言わなかった。
校舎から離れ、無人のプールのわきを通り過ぎた辺りで、ふと違和感を覚えた。土屋くんは明らかに、教室のある東棟ではなく、特別教室のある西棟に向かっていた。
渡り廊下から校舎に入り、理科室の前を通り過ぎて、階段をのぼる。もともと人気の少ない西棟は、時間帯もあいまって、まるで廃墟のようだった。白昼にもかかわらず、ひんやりと涼しい空気に、肌がうっすらと粟あわ立だ つ。
屋上へつづく階段の踊り場で、彼はようやく足を止めた。
「いつもここで食べてる。人が来なくて、静かだから」
天井近くにちいさな窓がひとつ開いているだけで、辺りはうす暗かった。空気はざらつき、湿った埃と黴の匂いが漂っている。階段の先には、重そうな鈍色の巨大な扉がそびえていた。ノブをひっぱってみても、びくともしない。
「開かないよ」
うしろで、彼が言う。
「屋上は立ち入り禁止だから」
階段に腰を下ろした土屋くんに従って、わたしも扉のそばに坐りこんだ。クリームパンをほおばる彼を見下ろしながら、買ったばかりのおにぎりの包装をむく。
雛倉さりえ
1995年滋賀生まれ。近畿大学文芸学部卒。
早稲田大学文学研究科在学中。
第11回「女による女のためのR-18文学賞」に16歳の時に応募した『ジェリー・フィッシュ』でデビュー。のちに映画化。
最新作に『ジゼルの叫び』がある。
写真:岩倉しおり
本作はきららに連載されていた『砕けて沈む』の改題です。
本作品はフィクションであり、実在する人物・団体等とは一切関係ありません。
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(c)Sarie Hinakura・小学館