吉田沙保里、12歳の頃に描いた将来の夢は「スーパーのレジ打ちさん」

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吉田選手は12歳の頃、レスリングに対して夢をいだいておらず、むしろレスリング以外のことにもたくさん興味があったそう。女の子同士で好きな男の子の話をしたことも。近所の幼なじみが初恋のお相手。当時、レスリングは自主的ではなく、“やらされている”という感覚。

実は、吉田選手が小学生の頃、女子レスリングはまだ五輪種目ではなく、五輪に出るという夢を持つことができなかったのも当然。だから、小学6年生の卒業文集に書いた将来の夢は「スーパーのレジ打ちさん」。レジ打ちする人のスピーディーな動きが格好よかったからなのだとか。

 

でもそのすぐ後に、“運命のとき”が訪れます。

中2のときに開催された1996年アトランタ五輪で、身長146cmの小柄な柔道選手、田村亮子選手(現在は谷亮子さん)が、女子48キロ級で銀メダルに輝いたのです。大活躍する田村選手の姿を見て、「自分も五輪に出たい」という夢ができたと話しています。

しかもちょうど、女子柔道に続き、女子レスリングも近い将来五輪種目になるだろうと気運が高まっていた時期。

夢をもってからの吉田選手は大きく変わりました。

 

そして高校生になり、めきめきと力を伸ばし、年齢別の世界大会で無敵となっていた吉田選手に、ついに2004年のアテネから女子レスリングが正式種目になるというお知らせが届きます。

出場権利をつかむために立ちはだかったのは、同じ階級で2歳年上の山本聖子選手。「山本選手を倒せばアテネ五輪に行ける」という思いは日に日に強くなり、2003~2004年にかけて行われた大会で、ついにアテネへの切符を手にします。そして山本選手はこう声をかけられます。

「これまでありがとう。私の分まで金メダルを取ってきてね」

憧れであり目標だった山本選手からの言葉を胸に、さらにガムシャラに練習に励み、見事アテネで金メダルに! 当時、21歳。若き女王の誕生です。

吉田選手は、2002年から2015年までの14年間、ずっと負けなし。そして、こう言います。「勝ち続けているうちはレスリングをやめられない」。

 

そんな負けなしだった彼女を、突然の悲しみが襲います。2014年3月11日、吉田選手最愛の父・栄勝さんが病気で亡くなったのです。悲しみに暮れながらも、父の死から4日後に行われた国別対抗の女子ワールドカップに出場し、見事に勝利を飾った吉田選手。

父もまた、レスリングの元全日本チャンピオン。自身の経験から学んだ「レスリングでは攻めたものが勝つ」という信念のもと、吉田選手にもそこを教え込み、練習時間が2時間なら、1時間半ぐらいはタックルの練習。その結果、吉田選手は“高速タックル”を武器に世界を制することができました。そう、タックルを制する者は世界を制する!

4度目となる五輪。いまなお勝ち続ける最強女王をつくった父がいない初めての五輪。「記録にも記憶にも残る選手になりたい」という吉田選手の、壮大な夢に向けた、前人未到の戦いがいま始まります。(さとうのりこ)

*参考文献:『12歳の約束 そして世界の頂点へ』(矢内由美子、寺野典子 著/石野てん子 絵)¥680+税(小学館)

 

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