祝「琳派」400年!風神雷神図屏風、松島図屏風…金屏風の名作の見所はここだ!

日本美術史の中でも、独特な形で発展した「琳派(りんぱ)」。実は流派や派閥を表しているわけではないことを、ご存じでしょうか。

琳派とは、大正から昭和の美術史研究者たちが同じ画風の絵師をひとまとめにして「宗達・光琳派」と呼んでいたものの略称。各時代の琳派の絵師に師弟関係はおろか、面識すらなかったのです。

琳派様式の創始者は、京都で刀の鑑定や研磨を行う名家に生まれ、書家として活躍していた本阿弥光悦。光悦は元和元年(1615年)に徳川家康から与えられた洛北の鷹峯の地に工人などを集めた芸術村を作り、蒔絵や茶碗を手掛け、俵谷宗達が金銀泥絵で描いた料紙に和歌をしたためた作品などを残しています。

そして、2015年はそれから400年の記念すべき年。『和樂』1・2月号では、そんな琳派を大特集しています。今回はその中から、世界に誇りうる琳派芸術の粋ともいえる金屏風の名作をご紹介いたします。

◆『風神雷神図屏風』俵谷宗達

和樂_金屏風の名作十番勝負_1

大胆な構図、ユニークなキャラクター、たらし込み(色を塗って乾かないうちに他の色を垂らし、にじみの効果を生かす技法)など、琳派様式を満載した俵谷宗達の『風神雷神図屏風』こそ、琳派の金屏風を代表する傑作です。

宗達がモデルにしたのは、京都の三十三間堂に千手観音の使者として置かれていた風神像と雷神像。右に風神、左に雷神を配し、金箔を押した余白を大きくとった構図が第一の特徴です。風神と雷神は神なのですが、愛嬌ある表情で描かれているところに、宗達の独創性が感じられます。

この屏風には落款や印章がないのですが、宗達を熱心に研究していた尾形光琳が、雲に見られる銀墨のたらし込みの技法から宗達の作であることを発見。

光琳は『風神雷神図屏風』を模写し、それを酒井抱一や鈴木其一が模写。画題を受け継ぎながら独自のアレンジを加えていくという琳派の敬称スタイルを象徴する作品としても知られています。

 

◆『松島図屏風』尾形光琳
和樂_金屏風の名作十番勝負_2

明治時代に日本を訪れたアーネスト・フェノロサがひと目見て心を奪われ、アメリカに持ち帰ったこの金屏風は、現在ボストン美術館に収蔵されています。

この絵は、同じくアメリカの美術愛好家のフリーアが収集した俵谷宗達作の『松島図屏風』(フリーア美術館蔵)の右隻をもとにして描いたもので、海外で光琳が注目されるきっかけとなった作品でもあります。

光琳は同作の模写を4点残しているのですが、金地をベースにした大胆な構図やデザイン的に描かれた波や岩礁、松などの描写の冴えにおいて、最上と目されるのが本作。作画意欲にあふれたこの傑作により、光琳の名が欧米にとどろいたのです。

その名から日本三景の松島を描いたものと思われがちですが、モデルには諸説あります。有力なのは、おめでたい図柄として白砂青松を描く「浜松図」の伝統を宗達が表したという説。光琳は宗達作の図に独自のアレンジを加え、さらに完成度を高めています。

 

琳派の絵を見た海外の人は、リアリズムを目指した西洋絵画とは対極にある、遠近法や写実を伴わない平面的・装飾的な画法に衝撃を受けたといいます。そんな琳派作品の中でも、ひときわ強いインパクトを与えたのが金箔を背景として用いた金屏風なのです。『和樂』1・2月号では、ほかにも8点の金屏風を解説しています。ぜひ本誌もあわせてご覧ください。(鈴木 梢)

和樂2015年1・2月号表紙(『和樂』2015年1・2月号)

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