『もう二度と食べることのない果実の味を』第21話

17歳で「女による女のためのR-18文学賞」で鮮烈なデビューを飾った作家・雛倉さりえさんの最新作『もう二度と食べることのない果実の味を』(通称:たべかじ)が4月16日に刊行されました。CanCam.jpでは大型試し読み連載を配信。危険な遊びへ身を投じたふたりの運命、そして待ち受ける結末とは……。

 そう言うと、土屋くんは従順に乳首をふくんだ。舌と歯のあいだで擦れるのが、たまらなくきもちいい。

 息を荒らげながら、土屋くんがベルトを外した。最初からぐっと深く入ってきて、おもわず声が洩れる。負けじと腰を擦りつけると、土屋くんがせつなげに呻いた。

 突かれるたび、背骨が扉にあたって、ごつごつと音をたてる。痛みにも似た快楽に煽られて、からだの奥から、熱い水がほとばしる。

 欲望は、いつでも、いくらでも、湧水のようにあふれでてくる。渇くそばからよみがえって、わたしのなかのからっぽを、まっくらな穴を、瞬く間にみたしてくれる。いっときだけでも、すべてを忘れさせてくれる。

 もっと。もっと、ほしい。息継ぎするように喘ぐと、ひときわ高い快感の波にのまれ、目の前が真っ白になった。うすみどりいろの床に、泡だった体液がぽたぽたとこぼれる。

「いま、何時?」

 肩で息をしながら、彼が訊ねた。あと五分ほどで次の授業がはじまる。ほてった指先で、急いでシャツの釦を留め直す。土屋くんは、濡れた床をティッシュで拭った。散乱したパンやおにぎりの袋をかきあつめて、もつれる足で階段をおりる。

「山下さん、先に行って」
「え?」

 教室の近くまできたとき、土屋くんが言った。

「ふたりいっしょに戻らない方がいい」

 言われてみれば、たしかにそうだ。教室では接点のないわたしと土屋くんが、昼休みの終わりに仲良く戻ってきたら、不審がられるかもしれない。わたしはうなずき、緊張しながらドアに手をかけた。

 教室は、お弁当の匂いと、生徒たちのにぎやかな話し声でみたされていた。正午過ぎの白い陽ざしが、部屋をすみずみまで明るく照らしだしている。

 拍子抜けするほど、いつもどおりの景色だった。平穏で退屈な、日常の世界。

「あ、冴。遅かったね」

 わたしに気づいた由佳子が、鷹揚に言う。

「どこ行ってたの? すごい汗だよ」
「ごめん。外で先生に会って、立ち話してた」

 がらりと前方のドアがあいて、土屋くんが入ってきた。わたしは視界の隅で、彼の姿を追った。きちんと釦の留まったシャツ。どこか澄ましたような、涼しげな横顔。

 クラスの人たちは、土屋くんの存在に気づいてすらいないようだった。隣の由佳子も、わたしの言葉をまったく疑っていない様子で、次の授業の教科書を鞄から取りだしている。

 心臓の鼓動が、落ち着いてゆく。かわりに、かんぺきに隠しおおせた充足感と心地よい昂揚が、熱い湯のように湧きあがってきた。

 わたしは汗で額にはりついた前髪を整え、ゆがんだスカーフをむすびなおした。

 ──ねえ、由佳子。ほんとはわたし、土屋くんとセックスしてたんだよ。

 歯の裏にのこったクリームの甘みを舌先で弄りながら、心の内でそっとつぶやく。

 体の奥のおおきな穴は、いつのまにか、あとかたもなく消えていた。

 

 

 それからの日々は、まるでひとつらなりの、ながい夢のようだった。

 昼休みばかりだと怪しまれるから、と言い出したのはどっちだっただろう。やがて放課後、ふたりで階段にむかうことが習わしになっていった。

 聖堂のようなしずけさの底で、わたしたちは何十回とシャツを脱ぎ、スカートを下ろし、ベルトを外した。白昼の教室では、決して許されない行為。身につけたものを剥がすたび、暗く澄んだ力がわたしのなかに充填された。

 白い肌でむかいあったわたしたちは、うすやみのなか相手の体に手をのばす。ひっかいたり、つついたり、舐めたり、つまんだり。肌の上に波紋をつくり、波立たせ、すばやく相手の情欲を捏ねあげてゆく。十分以内に行為をおえるためのやりかたを、わたしたちはすぐに覚えた。

 一度だけ、階下まで人がきたことがあった。九月も終わりに近づいた、放課後。その日は朝から雨が降っていて、階段の空間はほとんど夜のように暗かった。視界を奪われた状態で、体はいつもよりずっと、刺激に対して敏感になっていた。

「声、もうちょっと抑えて」

 土屋くんにたしなめられても、吐息ごと洩れる声を我慢できない。

「あっ」

 ひときわ大きい喘ぎがこぼれた、そのとき。階段の下の方で、人の声らしきものがきこえた。わたしと土屋くんは暗闇のなか顔を見あわせ、ぱっと体を離した。声は雨音にまざりながら、すこしずつ数を増してゆく。男子と、女子の声。どこかの運動部が、室内トレーニングのためにやってきたのだろうか。

 獣のように息をひそめ、暗がりの奥から階下をうかがう。ざわめきは、けれどしだいに遠ざかっていった。完全に音が消えてから、わたしたちはほっと安堵し、ふたたび、暗闇に引っこんだ。

 それからも、生徒たちの気配を感じたことは何度かあった。けれど、声はいつも階下を通り過ぎてゆくばかりで、恐怖はいつしか、官能を煽るためのほどよい刺激と化した。

 閉ざされた扉の前で、わたしたちは毎日、箍が外れたように交わりつづけた。

 

 むさぼりつづけた快楽の代償が、静かに迫ってきていることに気づかないまま。

 

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雛倉さりえ

1995年滋賀生まれ。近畿大学文芸学部卒。
早稲田大学文学研究科在学中。
第11回「女による女のためのR-18文学賞」に16歳の時に応募した『ジェリー・フィッシュ』でデビュー。のちに映画化。
最新作に『ジゼルの叫び』がある。

 

写真:岩倉しおり

本作はきららに連載されていた『砕けて沈む』の改題です。
本作品はフィクションであり、実在する人物・団体等とは一切関係ありません。
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(c)Sarie Hinakura・小学館

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