思わず顔をあげると、はりつめた声で真帆はつづけた。
「ごめん、変なこと言って。でもこんなこと相談できるの、冴しかいなくて」
「…………濱くんが、しようって言ってくるの?」
やっとのことで訊ねると、彼女は力なくうつむいた。
「すごくしたい、って言いながら、胸とか、脚とか、さわってくるの。嫌がると止めてくれるけど、何回も言ってくるから、なんか怖くなってきて」
だって、と吐きだすように言う。
「早すぎない? わたしたち、まだ中学生だよ。子どもだよ」
子ども同士でセックスなんて、ありえない。まともじゃない。
言外にそう言われた気がして、じわりとつめたいものが滲みだす。うしろめたさを抱えたまま、わたしは訊ねた。
「彼氏のいる友だちは、なんて言ってるの」
「由梨や三奈のこと?」
真帆は佐藤さんと村西さんの名前をあげた。
「手をつないだり、キスをしたことはあるってきいた。でもそれ以外のことは、してないみたい」
陽ざしが、ゆっくりと傾いでゆく。
靴の先で石を弄りながら、彼女はうつむいたまま言った。
「こんなこと、だれにも話せない。みんな、優しくていい彼氏だよねって言ってくれるから。ねえ、どうしたらいいと思う? わたしたち、やっぱりおかしいのかな?」
顔をあげた真帆の瞳は、まるで澄んだ水辺のようだった。底に沈んだ琥珀色が、透明な膜を透かしてちろちろとひかっている。
きれいだな、とわたしは思った。真帆はそのうつくしい瞳に、うつくしいものだけを映したいと願っている。その無邪気さが愛しくて、忌々しくて、いっそ粉々にしてしまいたいと思った。
──セックスって、すごくきもちいいんだよ。
──互いの体液でぐちゃぐちゃになって、まざりあって。自分が自分でなくなっていくみたいで、止められないの。
わたしは、口をひらいた。
「真帆の気持ちが、いちばん大事だと思う」
大きな瞳が、ゆっくりと瞬く。
「まだしたくないって少しでも思うなら、そう言った方がいいよ。濱くんだって、ほんとうに真帆のことが好きなら、待ってくれるだろうし」
子どものように、真帆はこっくりとうなずいた。
「……そうだよね。ちゃんと、伝えないと駄目だよね」
胸につかえていたものを吐きだせてほっとしたのか、真帆は晴れやかに笑った。
「心の準備ができたら、ちゃんと話してみる。冴に相談してよかった。ありがとう」
わたしはあいまいに微笑み返す。
真帆の望む恋愛はすこやかで、まっとうで、みずみずしい果実みたいだ。吐き気を誘う甘い腐臭のなかでうずくまるわたしには決して届かないところに実ったくだもの。
それを汚す権利は、わたしにはない。
けれど。真帆だって、どこかで気づいているはずだ。自分が立っている場所のすぐ近くに、全く知らない世界が広がっているということを。それまで考えたこともない、得体の知れない快楽が、足元に埋もれていることを。
美しい白砂の下に隠されたもの。果実の奥にぽっかりとひらいた、仄暗い空洞。
白くふやけた太陽が、水平線のむこうに落ちてゆく。藍色の波に足首まで浸かりながら歩く真帆の背中を、わたしはぼんやりと見つめた。
雛倉さりえ
1995年滋賀生まれ。近畿大学文芸学部卒。
早稲田大学文学研究科在学中。
第11回「女による女のためのR-18文学賞」に16歳の時に応募した『ジェリー・フィッシュ』でデビュー。のちに映画化。
最新作に『ジゼルの叫び』がある。
写真:岩倉しおり
本作はきららに連載されていた『砕けて沈む』の改題です。
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(c)Sarie Hinakura・小学館