『もう二度と食べることのない果実の味を』第1話

17歳で「女による女のためのR-18文学賞」で鮮烈なデビューを飾った作家・雛倉さりえさんの最新作『もう二度と食べることのない果実の味を』(通称:たべかじ)が4月16日に刊行されます。CanCam.jpでは、この衝撃作品の試し読み連載を開始。どこよりも早く、作品をお届けします。

 ふりかえると、真帆が立っていた。みどりがかった鳶色の淡い瞳に、にきび一つないなめらかな肌。あかるい栗色のショートヘアが、窓から射す陽をあびてきらきらとひかっている。

「ごめん、勉強中? 邪魔しちゃった?」
「大丈夫。いま終わったところ」

 ノートを閉じてそう返すと、真帆は透明なマニキュアを塗った爪をいじりながら、のんびりと言った。

「冴、最近がんばってるよね。昔から真面目だったけど、ほんとすごいと思う」
「焦ってるだけだよ。夏休みからが本番だし」
「夏休みかあ。そうだよねえ。わたしもそろそろ本腰入れないとな」

 どこか他人事のように、彼女はうすく微笑んだ。

 真帆とは、幼稚園の頃から数えると、もう十年以上の付き合いになる。昔はよくいっしょに、海や山で遊びまわっていた。

 彼女は今、クラスの華やかな子たちがあつまるグループに属していて、ふだんはそっちでにぎやかに過ごしている。けれどたまにこうやって、わたしのところに喋りにきてくれるのだ。

「あ、こないだの期末のランキング、みたよ。廊下に貼りだされてたやつ。学年二位とか、毎回だけどすごすぎ。さすがだね」
「そんなことないよ。今回は、一位の人とかなり差があったし」
「一位って、土屋くんだっけ」

 真帆が、ちらりと教室の前方に目をやる。

「あの人、ちょっと怖くない? 冴みたいに、勉強できるけどふつうに喋れる子なら、素直にすごいねって言えるけどさ」

 わたしは、あいまいに笑ってみせる。わたしだって、人と喋るのはそんなに得意な方じゃない。真帆とも、おさななじみでなかったら、こうして話すことなんてなかっただろう。

 「まほーおいでー」とあかるい声がした。みると、佐藤さんがこっちに向かって手をふっていた。ゆるく編まれた長い髪が、教室のひかりのなかでふんわりと杏色にかがやいている。

 彼女の近くでは、すらりと背の高い新野さんと色白の高橋さん、それにバスケ部の中上くんと濱くんが、何か話しながら笑っていた。真帆は「今いくー」と返し、それからわたしにむかってちいさく微笑んだ。

「なんか呼ばれちゃったから。またね」
「うん。また」

 くるりと背を向けた真帆が、「あ、そうだ」と思い出したようにふりかえった。

「夏休みに瑞枝さん帰ってくるなら、おしえてね」

 瑞枝。久々に耳にするその名前に、ざわりと心臓の奥が疼く。
 動揺をふり払うようにうなずくと、真帆は笑ってひらりと手をふった。彼女とすれちがう恰かつ好こうで教室に入ってきた由佳子が、わたしのとなりの席に荷物を置く。

「向野さん、ほんと肌きれいだよね。スキンケアとかしてんのかな」

 真帆の背中を眺めながら、彼女がぼんやりと言う。由佳子とは春にいっしょに図書委員になったことがきっかけで話すようになり、それからなんとなくいつも一緒に過ごしている。

「訊いてみたら?」
「むりむり。かわいすぎて気圧されるっていうか。そもそもあの辺の人たちって、近づきづらいし」

 その瞬間、どっと笑い声が起こった。佐藤さんたちだ。スマートフォンで動画でもみているのか、円をつくるようにかたまっている。濱くんのとなりに坐る真帆も、細い体をおりまげて笑っていた。

「楽しそうだねえ」

 ぽつりと由佳子が呟く。男子たちの低く大きな笑い声に、教室内のほかの生徒たちは一瞬だけ顔をあげ、またそれぞれの世界に戻る。ゲームをしたり、こっそり持ちこんだ漫画を読んだり、友だち同士で喋ったり。隅の席の土屋くんは喧騒には目もくれず、数時間前とおなじ姿勢で机にむかっている。

 三年生の、夏休み直前。日頃から勉強している子も、休みに入ったら頑張ればいいと思っている子も、グループに関係なく不安を抱えている。だから毎日、クラスメイトと他愛のないことをお喋りしたり、わざと大声で笑ったりして、どうしようもない内心の焦燥をおしかくそうとするのだ。

 けれど土屋くんは、土屋くんだけは、そんな共犯めいた戯れには目もくれず、一人でずっと勉強している。その姿にますます焦りがかきたてられるようで、だからみんな、彼を視界に入れないようにしているのかもしれない。

 けたたましい女子の笑い声が、どこか悲鳴のように、教室いっぱいにこだました。

 

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『たべかじ』連載一覧

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雛倉さりえ

1995年滋賀生まれ。近畿大学文芸学部卒。
早稲田大学文学研究科在学中。
第11回「女による女のためのR-18文学賞」に16歳の時に応募した『ジェリー・フィッシュ』でデビュー。のちに映画化。
最新作に『ジゼルの叫び』がある。

 

写真:岩倉しおり

本作はきららに連載されていた『砕けて沈む』の改題です。
本作品はフィクションであり、実在する人物・団体等とは一切関係ありません。
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(c)Sarie Hinakura・小学館

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