卓球・伊藤美誠が母との「6時間訓練」で得たもの。そして“12歳の自分”に言いたいこと

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藤岡雅樹/小学館

“12歳”のころ、みなさんはどんな夢を持っていましたか? 小学校に別れを告げて中学校に上がっていくこの年は、夢と希望、そして不安が渦巻く多感な時期。

現在、日本の反対側で連日熱戦を繰り広げている五輪選手たちもまた、そんな時代を過ごしてきたはず。

 

卓球女子の伊藤美誠(みま)選手は、2000年10月21日生まれの15歳。もちろん今回のリオが初五輪。12歳はごく最近のことのように思えますが、彼女にとって“12歳”は、卓球人生を語る上で忘れることのできない年なのです。

 

彼女の知られざるエピソードを、現在発売中の『12歳の約束 そして世界の頂点へ』(小学館)よりご紹介します。

 

12歳の約束

12歳のとき、伊藤選手は五輪への思いを作文にしたためています。そして当時の自分を振り返り、彼女はこう話しています。

「これを書いたときは、五輪への道のりがどんなに大変なのか、まったくわかっていなかったですね。確かにここに書いてある通りなんだけれど、簡単に言いすぎです(笑)。ランキングを上げるのがどんなに苦しかったか。『めちゃくちゃ苦しかったよ』って、12歳の自分に言ってあげたいです(笑)」

五輪がどんな場であるか、それに立つまでにどれほどの努力が必要か、15歳にしてすでに彼女は知ってしまったのです。

 

「五輪で優勝する」と決意した、2012年夏。当時、ロンドン五輪の卓球女子シングルスの試合を現地で観戦していた伊藤選手。ほかの世界大会とは違う空気が漂う五輪は特別なのだと思い、自分もその舞台に立とうと決め、そしてあの作文を書いたそう。

今回の五輪では、初出場ながら「まったく緊張しない」と答えた伊藤選手の精神を鍛えたのは、誰でもない、彼女の母。学生時代から卓球選手として活躍し、伊藤選手を産んでからも毎回のように大会に出場していたほどの入れ込みよう。母が練習している間、その近くで遊んでいた伊藤選手が「卓球をやりたい」と言い始めたのも、必然なのかもしれません。

 

おもちゃを買い与える感覚で、小さなラケットを手にしたわが子を、母は、「どうせ打ち返せないだろうし、すぐに飽きるはず」と思っていたのですが、その予想を裏切られることに……。母が打ったサーブを、3歳に満たない娘がキレイなフォームで打ち返したのです!

それを見た母は、その日から厳しい“卓球コーチ”に変わったそう。

試合という“本番で勝つため”の準備である「訓練」という名の練習は、毎日6時間あまり。時に、深夜にまで及んだことも。卓球はラケットでボールを打ち合い、返せなければポイントが得られるというシンプルなルールですが、たくさんの打ち方があり、状況に応じた打ち方が必要で、正確にプレーしなければ勝てません。

基本練習だけが続く母との「訓練」は、やりたいプレーができないので解放感がない。でもそのおかげで、“がまん”が身につき、技術を磨くと同時に強い精神力も兼ね備えた選手へと成長することができました。

大舞台で物怖じせずに、自分の能力を発揮できることは、トップアスリートにとって必要不可欠。どんなに技術だけを磨いても、心で負けてしまえば、実力を発揮できないまま試合が終わることだってあります。だからこそ、幼い頃に母が鍛えてくれた精神力は、彼女がこれから大きく飛躍するための強みとなるはず。

 

リオでは、卓球女子団体は2大会連続のメダル獲得、そして金メダルを目指していましたが、残念ながら準決勝で敗退。8月16日夜、銅メダルをかけてシンガポールと戦います。

伊藤選手は「負けるのは強くなるためのチャンス」ということを知っています。強くなるためのチャンスが訪れるたびに、母はいつも「ナイスミス!」と言ってくれたから。リオでは、金メダルに手は届かなかったけれど、彼女には同じ年の平野美宇選手という良きライバルもいます。今回の経験をバネに、きっと伊藤選手はこれからもっともっと強くなる! そんな気がしてなりません。(さとうのりこ)

*参考文献:『12歳の約束 そして世界の頂点へ』(矢内由美子、寺野典子 著/石野てん子 絵)¥680+税(小学館)

 

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