『もう二度と食べることのない果実の味を』第14話

17歳で「女による女のためのR-18文学賞」で鮮烈なデビューを飾った作家・雛倉さりえさんの最新作『もう二度と食べることのない果実の味を』(通称:たべかじ)が4月16日に刊行されました。CanCam.jpでは大型試し読み連載を配信。危険な遊びへ身を投じたふたりの運命、そして待ち受ける結末とは……。

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『もう二度と食べることのない果実の味を』第14話


もう二度と食べることのない果実の味を

 初めて体を重ねた日以降、わたしたちは神社をあとにして、セックスのための場所をさがしつづけていた。

 そんな場所そうそうあるわけない、と初めは思っていたけれど、いざ探しはじめると、意外なほどたくさん見つかった。

 放置された工事現場。町はずれの橋の下。湯けむりの漂う裏路地。まるでこの町が、仄暗く湿った口をひらいて、わたしたちを待っているようだった。

 より人目につかない場所をもとめて歩いていると、土屋くんが足を止めた。

「あれ、何だろう」

 みると、雑草だらけの空き地のむこうに、コンクリートの建物がかしいだように建っていた。剥き出しになった鉄骨やパイプが、紅く灼けた夕空にいびつに浮きあがっている。赤錆で覆われた看板に、かろうじて「ホテル」の文字が読めた。

「入れるのかな」

 つぶやく土屋くんを置いて、わたしはほつれかけたロープを越え、空き地に足を踏み入れた。廃墟のホテルは、ぐるりと張りめぐらされたコンクリートの塀にまもられていた。数メートルはありそうな高い塀は、けれどひどく古びていて、虫に喰われたようにところどころ隙間があいている。

 追いかけてきた土屋くんにむかって、わたしは言った。

「その穴、くぐれる?」
「……どうだろう」

 地面近くにあいた穴の前に、しゃがみこむ。

「たぶん、いけるとおもうけど」

 言いながら、彼はするすると向こうがわへ抜けていった。わたしも同じように、穴に体をさしいれる。

 粗いコンクリートに肌を擦らないよう注意して、足をのばす。つまさきが地面にふれ、顔をあげると、そこは広い庭園だった。

 左手に佇むホテルは、教科書で見たギリシャの古い神殿みたいだった。おおきくはりだした庇のしたに白い円柱が、森のようにたちならんでいる。そのむこう、建物の壁は、全面が硝子張りだった。

 あかるい陽ざしに瞳孔が縮んでいるせいか、室内は夜のように昏く、霧がかかったように烟って見えた。椅子やテーブルが横倒しになっているのが、かろうじてわかる。

 円柱の根本には、夏の陽ざしに滾る雑草が、波のようにおしよせていた。宙に飛び散ったあおい飛沫がそのまま静止したような、背の高い夏草たち。塀を隠すように植えられた針葉樹系の木々は、人の手によって刈りこまれることもなく、いびつに奔放に、枝葉をのばしている。

 きょろきょろと辺りを見わたしながら、土屋くんが言う。

「ここ、いいね」
「うん。人もこないし、音も響かなそう」

 できるだけ平らな場所を探そう、という彼の言葉にしたがって、わたしは庭を歩きまわった。じわじわじわ、と蝉が鳴いている。真夏の夕陽は、まるで舞台の上に吊られているように、ぴたりと静止したまま、なかなか降りてこない。

 太腿まで夏草に浸かって歩いていると、視界の隅でなにかがひかった。草をかきわけて近づいたわたしは、ちいさく息をのんだ。

 水槽だった。

 洋風の庭に似つかわしくない、飾り気のない、硝子の箱。

 水面は、ホテイアオイの巨大な葉でほとんど蔽われていた。水は黄色く濁っていて、よくみると、白くちいさな魚がみっしりと泳いでいた。めだかだろうか。葉と葉のすきまから射すわずかな光をかき乱すようにして、水中の空間をうめつくすように泳いでいる。
 この魚たちは、いったいどこからやってきたのだろう。偶然たまごが紛れこんだにしては、数が多すぎる。かといって、だれかが定期的に追加しているわけでもなさそうだ。

 それなら、とわたしは思う。じぶんたちの力だけで、じぶんたちをここまで殖やしてきたのだろうか。

 狭く閉じた箱のなかで、かぎられた個体同士が、なんどもなんども交尾して、たまごをうんで。うまれた魚は気泡を吸って、藻をついばんで、またたまごをうむ。

 廃墟の庭の片隅で人知れず、ほとんど狂気のようにくりかえされてきた、いとなみ。

「山下さん」

 背後から、土屋くんの声がした。

「あっちに、良さそうな場所あったよ」

 言われるままついてゆくと、彼はひときわ背の高い樹の根元で足を止めた。日陰になっているせいか雑草の背は総じて低く、邪魔になるような石もみあたらない。わたしたちはまず雑草を踏み均らし、それから、向かいあって坐りこんだ。折れた茎からたちのぼる青い匂いを吸いながら、ゆっくりと横たわる。

 空がゆるやかにとおのいて、かわりに、地面がせりあがってきた。目の前を、くろく透きとおった蟻が数匹、つらつらと通りすぎてゆく。蝉の抜け殻が、そこかしこに落ちている。どくだみ、捩花、ゼニゴケ。陰生植物たちの、むっとこもるような匂い。土のあたたかい匂い。水の匂い。

 土屋くんのくちびるが上からおりてきて、わたしのくちびるにかさなった。熱い息が、わたしのなかのからっぽを充たしてゆく。やがて、ぬるりと舌がはいってきた。くらやみのなかに放りこまれた熱のかたまりを、無心でむさぼる。

 いつものように彼のシャツに指をすべりこませ、ベルトを外そうとしたとき。なにか、違和感があった。土屋くんの体が、こわばっている。うすい肉のやわらかさではなく、骨の硬さが、指のしたで妙にきわだつ。どうしたんだろう、と思っていると、声がした。

「やっぱり、今日はやめておこう」
「え?」