『もう二度と食べることのない果実の味を』第11話
あくる日の午後。早めに勉強を切りあげて、わたしは足早に神社にむかった。いつもの路地を通り、鳥居に近づくと、見なれた制服姿があった。ほっとして、土屋くんに駆けよった。
「昨日はごめん。お姉ちゃんが、東京から帰ってきてて」
土屋くんは小さくうなずき、参考書を閉じた。
今朝早くの新幹線で、姉は都会へ戻っていった。家を出る間ぎわ、瑞枝はわたしの耳元に口を寄せた。
──冴。なにか悩みがあったら、いつでも連絡してね。
うなずきながら、心の内では、連絡なんかするわけないのに、と思っていた。ただでさえ負けっぱなしなのに、これ以上、惨めな姿をさらしたくない。それにそもそも、姉に頼らなければならないようなシチュエーションが思い浮かばない。
参道のつきあたり、本殿までくると、わたしたちはいつもどおり裏にまわりこんだ。樹々の根元にしゃがみこむと、咽るような土のにおいが鼻をついた。頭上では、何十匹もの蝉が鳴いている。
むかいあった土屋くんのくちびるが、うすくひらいた。なかから、あざやかなピンク色の舌があらわれる。わたしも目をつむって、顔をよせた。口をあけて、ゆっくりと舌をのばす。
ぴちゃ、と小さな水音をたてて、舌と舌がくっついた。その瞬間、姉のことも、勉強のことも、それまで考えていた雑多な思考が、吹き飛んでいった。生々しい舌の肉の感触で、頭がいっぱいになる。
ふたりぶんの唾液が伝ってまざりあい、砂利に落ちた。頭をからっぽにして、ひたすら舌と舌をからませる。歯列をなぞり、根元をくすぐる。より深いところまでとどくよう、体勢を変えようと地面に膝をついたときだった。
「えーやばくない? けっこう暗いじゃん、ここ。だいじょうぶ?」
どきん、と心臓が跳ねる。
知らない女の声。つづけて、男の声がひびく。
「暗いからいいんだよ。いちおう昼にも見に来たけど、ここ、ぜんぜん人いないから。周りも空き家ばっかだし」
だれか、いる。どうしよう。今すぐここから離れた方がいいのだろうか、それとも。
焦るわたしに、土屋くんが小声でささやいた。
「とりあえず、誰がきたのか見てみないと。相手によって、どうするか決めればいい」
言葉こそ落ち着いているものの、声はわずかにうわずっていた。姿勢を低くして、声のする方向から死角になるよう、慎重に覗き見る。
手水舎のそばに、こちらに背を向けるようにして、制服姿の若い男女が立っていた。
「岡商の人だ」
土屋くんがつぶやく。
菜岡商業高校。たしか県内で、もっとも偏差値の低い学校のひとつだ。
「なんでわかるの?」
「岡商、僕の家からわりと近いから。あの制服、よく見かける」
きゃははは、と女の高い笑い声が響いた。いつのまにか、ふたりは手水舎の前に坐りこんでいた。女の方は、片手に缶をもっている。よくみると、ビニール袋から大量の缶があふれて、参道に散らばっていた。
「たぶんあれ、お酒だよね」
そう言うと、土屋くんはうなずいた。
「いま出て行ったら、変に絡まれるかもしれない」
「じゃあ、このまま隠れてる?」
土屋くんはため息を吐いて、本殿に背中をむけた。これ以上、くちづけをつづける気はないみたいだ。わたしも仕方なく、膝を抱いて目を瞑った。
どれくらいの時間が経っただろう。気づけば、男女の声が途切れていた。おそるおそる見てみると、ふたりの姿がなかった。缶の山はそのままだ。
帰ったのだろうか、と周囲を見わたすと、いた。手水舎の陰、鳥居からみて真裏に位置する場所で、女が水盤に手をついている。そのすぐうしろに、はりつくように男が立っていて、しきりに体をうごかしていた。
セックス、してる。