わたしはおもわず、息をのんだ。知識としては授業や小説で知っているけれど、実際に目にするのは、もちろん初めてだ。男は自分の体を擦りつけるように、烈しく腰を動かしている。蝉の鳴き声にまじって、ぴたぴたと奇妙な音がひびく。
いますぐ逃げだしたかったけれど、神社を出るには参道をとおらないといけない。もし見つかったら、今までずっと隠れていたこともばれてしまう。下手をすれば、逆上して殴りかかってくるかもしれない。
隣をみると、土屋くんは居心地悪そうに黙ったまま、ふたりのいる方を見ていた。
「どうする?」
訊ねると、彼は眉を寄せたまま「終わるまで、待つしかない」と言った。
樹々のすきまから射す陽ざしが、じりじりと傾いでゆく。男は、いつのまにか女のスカートを膝のあたりまで引きずり下ろしていた。あ、あっ、あ、とこきざみにひびく女の喘ぎ声が、蝉しぐれに溶けてゆく。
目を逸らすかわりに、わたしは瞼を下ろした。とたんに、空間を飛びかうあらゆる音が、闇のなかで輪郭をもちはじめる。樹冠から降りしきる、蝉の鳴き声。肌と肌のぶつかる、にぶい音。粘液と肌がこすれあうときの、かすかな水音。紅白二匹の龍の牙からあふれしたたる、流水の音。そして、隣の土屋くんの、鼓動の音。
まなうらのくらやみに、模型のような心臓がふたつ、あざやかに浮かびあがった。鼓動のたびに臓器の端々から紅い糸がのび、絡みあいながらするすると広がってゆく。こまかな管の一本一本は、やがて微細な河となり、みるまに勢いをましてゆく。
この感覚を、わたしは知っている。
河をながれる血は、熱をおびて湯となる。奔流はいつしか龍に転じ、地下深くから地表へむかってせりあがり、やがて、宙にむかって高くほとばしる。猛り狂う欲望が、快楽が、辺りをめちゃくちゃになぎたおし、街を、わたしを、世界を、壊し尽くす──。
「あ」
土屋くんがちいさく叫ぶ。
「終わったみたい」
はっと目をあけると、男女はすでに制服を着ていた。参道に散らばる缶はそのままに、鳥居にむかってもつれあうように歩いてゆく。
夕陽はほとんど色を失って、辺りをうすあおく浸していた。女の喘ぎが、男の熱が、まだ宙に漂っているようだった。ながい夢をみたあとのように、頭の芯がぼんやりしている。
ふたりの姿が完全に消えるのを見届けてから、土屋くんはバッグを手に立ちあがった。わたしは慌ててリュックをせおい、彼を追いかけた。
参道には、大量の缶がのこされていた。よこだおしになった缶からは、尿のような色をした液体が、白い道に流れでている。
汚れた参道を歩いてゆくうちに、さっきまでの昂揚が、嘘みたいに冷めていった。かわりに、暗澹とした気分がひたひたと充ちてくる。
あの光景はきっと、わたしたちの、なれのはてだった。
最底辺の高校の制服。まぐわうふたり。勉強をおろそかにして、不健全な遊びに耽ふけりつづけたわたしたちの、末路。背筋がぞくりと冷たくなる。
土屋くんが立ち止まって、こちらにふりかえった。
「山下さん」
「何?」
「会うの、もうやめよう」
わたしはおどろいて、ちいさく息をのんだ。土屋くんも、おなじことを考えていたんだ。
彼は前にむきなおり、どんどん参道を歩いてゆく。鳥居のところで追いつくと、彼はほんの一瞬わたしをみて、それからいつものように「じゃあ」とつぶやいた。
あっけなく遠のいてゆく背中を、わたしはぼんやりと見おくった。しゃがみつづけていたせいか、つまさきが痺れてじんじんと疼く。
そうだ。きっと、この辺りでやめておくのが、正解だ。このままじゃ、いつか遊びでは済まなくなる。彼は、いつだって正しい。
でも、とわたしは思う。
ほんとうに、これでおわりなんだろうか。
いつのまにか、つよい風がふきはじめていた。背後で、空缶の倒れるうつろな音がひびく。頭上の樹々がざわめいて、落ち葉の影が舞う。鉛いろの空の下で、わたしはひとり立ち尽くした。
雛倉さりえ
1995年滋賀生まれ。近畿大学文芸学部卒。
早稲田大学文学研究科在学中。
第11回「女による女のためのR-18文学賞」に16歳の時に応募した『ジェリー・フィッシュ』でデビュー。のちに映画化。
最新作に『ジゼルの叫び』がある。
写真:岩倉しおり
本作はきららに連載されていた『砕けて沈む』の改題です。
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(c)Sarie Hinakura・小学館