「冴はどうだ? 勉強は順調か?」
「うん。毎日ちゃんと、決めたとおりにやってるよ」
「そうか。その調子で、頑張れよ」
満足そうに笑う父に、わたしはしっかりうなずいてみせた。
父に褒められるのは、うれしい。この道はまちがっていないと、そのまま進めと、後押しされているような気持ちになる。ふたりより先に食事を終えたわたしは、「ごちそうさま」と立ちあがった。
「お母さん、お風呂入っていい?」
「いいけど、早めにあがってきてね」
流しに皿を置いて、わたしは脱衣所にむかった。服を脱ぎ、浴室に足を踏み入れる。浴槽にからだをしずめると、はりつめていた肌の表面があたたかくほどけてゆく。
以前は浴室に単語帳をもちこんで勉強していたけれど、母に「お風呂のあいだくらいゆっくりしなさい」と呆れられ、しぶしぶ止めた。たしかに一日じゅう根を詰めているのはよくないのだろうけれど、何もすることがないとむしろ落ち着かない。
湯の下でゆれる自分の体に、所在のない視線をぼんやりと向ける。水分をふくんで、白々とひかる肌。よくみると、ところどころ出っ張ったり、なめらかにへこんだりしていて、まっすぐな部分はどこにもない。
いちばん目についたのは、腰のあたりに浮きでた骨だった。うすい皮膚を下からおしあげるようにして、くっきりとかたちをあらわしている。なんとなくさわってみると、まるで鉱物が埋まっているみたいに硬かった。自分の体の一部とは思えないような感触がおもしろくて、するすると下腹にゆびさきをすべらせる。
その瞬間、皮膚の下、体の奥底のほうで、ぞわり、となにかが蠢いた。
──え?
わたしはおもわず、身震いした。
なに、今の。
痛み、ではなく、痒み、でもない。ふしぎな、熱い疼き。おなかの下に、おびただしい数の熱の粒があつまり、指のうごきにあわせて一斉になびいているような。あるいはなにか、えたいのしれない巨きなものが、皮下でざわついたような。
呆然としていると、外から声がきこえた。
「冴、上がってきて。お父さんが待ちくたびれたって」
母だ。とっさに指をはなすと、気配はやんだ。静まりかえった浴室に、蛇口からしたたる湯の音だけがぽたぽたとひびいている。わたしはおそるおそる、自分の体を見おろした。
いつもとかわらない、生白い、平たいおなか。見慣れた体。いったい何だったんだろう。わたしは気味の悪い、奇妙な感覚をふりはらうように、浴槽から立ちあがった。
★次回 第3話はこちら
雛倉さりえ
1995年滋賀生まれ。近畿大学文芸学部卒。
早稲田大学文学研究科在学中。
第11回「女による女のためのR-18文学賞」に16歳の時に応募した『ジェリー・フィッシュ』でデビュー。のちに映画化。
最新作に『ジゼルの叫び』がある。
写真:岩倉しおり
本作はきららに連載されていた『砕けて沈む』の改題です。
本作品はフィクションであり、実在する人物・団体等とは一切関係ありません。
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(c)Sarie Hinakura・小学館