WI 1年で辞めるつもりが、アナウンサーは3年やられていたんですか?
西村 実は、1年経って「よっしゃ、辞めるぞ!」って、大学のときの相方に連絡したら、「ごめん。俺やっぱ、このままサラリーマンやるわ」と。「おいおい、話違うやんけ!」みたいな(笑)。相方は、証券会社に就職して、彼女もつくって、順風満帆で。僕は辞表を書いて、もう提出するだけだったのに……。
WI そうなると余計に、辞める機会が難しくなりますよね。3年でアナウンサーを辞めたのは、なにかきっかけがあったのですか?
西村 チュートリアルさんです。彼らに憧れてたので、『M-1』で優勝したのをテレビで観ていたんです。大学3年生ごろの就職活動時期です。僕、小学校の卒業文集に、「ナインティナインみたいになる」って書いてたんですけど、実際本当に芸人になろうと思ったのは、2006年『M-1』、チュートリアルさんの完全優勝を観たときです。
WI アナウンサーとして順調で、収入も安定していたのに、芸人になることに躊躇はありませんでしたか?
西村 アナウンサーは、見えないところでの仕事が本当に多いんです。5分のオンエアに4時間調査したりとか……。裏方の仕事をしているうちに、「やっぱり自分がスポットライトを浴びたい!」と、あらためて思うようになって(笑)。そんなとき、友だちから軽いノリで「『M-1』のDVDを観ようぜ」と言われて。それがたまたま2006年のだったんです。
WI 偶然ですか? だとしたら、運命的なものを感じますね。
西村 僕、いまでも忘れないですけど、そのDVDを友だちが笑って観てるのに、僕だけ真顔で『M-1』を観ながら、心の中で“そうだよそうだよ……これだよ!”と気持ちが高まってました。それで、2010年の年末に引き出しから辞表を取り出して、日付を変えて書き直して、2011年1月に辞表を出しました。
WI 辞表を出した後は、後悔もなく?
西村 そうですね。辞表を出した2か月後、追い打ちをかけたのが、東日本大震災です。被災地で、両親を亡くした友だちもいて、「俺もいつ死ぬかわからんし、いまやらんと」って、芸人になるという決意が確信に変わりましたね。
人生の分岐点の道を照らしてくれたのは、憧れの先輩・チュートリアル。彼らがいなかったら、ラフレクラン誕生もなかった、かも?
さて、爽やか好青年の西村さんですが、「いまでもなにかの衝動ですぐに坊主頭にしたくなります。反省の仕方が、かなりレトロなんですよね(笑)。“元アナウンサー”っていうコピーが使えなくなった瞬間、坊主にすると思いますよ(笑)」と話していました。芸人としては面白いですが……ぜひいまをキープで! 次回、相方・きょんさんとの「最悪な印象だった」という、出逢いのエピソードをうかがいました。(さとうのりこ)
ラフレクラン西村真二
Twitter:@slimboy24
【ラフレクラン西村のハイスペック伝説】シリーズ!
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★2回目→ 人気急上昇のよしもと芸人は元カノのお母さんと…そしてウーマン村本に宣戦布告!?
★3回目→ 注目急上昇のイケメン芸人、学生時代は血気盛んで前代未聞の○○だった
★4回目→ アナウンサー入社試験1発目で最終面接→不合格。足りなかったのは○○だった
★6回目→ 相方・きょんはハンドルのない高級車!?「操縦できるのは俺しかいないと口説いた」
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