『もう二度と食べることのない果実の味を』第18話
バスが校舎に着いたのは、午前九時五分前だった。
新学期初日から遅刻なんてありえない。バスから降りたわたしは校門に駆けこんだ。下足場でてばやく靴を履き替え、息を切らして教室のドアをあける。
とたんに、にぎやかな喧騒が耳に飛びこんできた。先生はまだ来ていないようだ。ほっと安堵したとき、「なにそれ、やばすぎ」と笑い声が起こった。
「裕也の腕、まっ黒じゃん。ほら、わたしと較べてみて」
「毎日部活で走ってたから。あと、佐藤が白すぎなんだよ」
「うわ、それセクハラじゃね?」
佐藤さん、村西さん、新野さん。そして、真帆。いつもの顔ぶれが、いつものようにはしゃいでいる。彼女たちをとりまく男子たちは、たしかにこれでもかというくらい日焼けしていた。白いカッターシャツと小麦色の肌のすこやかなコントラストが、目に眩しい。
休み明けのせいか、教室全体がなんとなく浮き足立っている。通路を歩きながら、わたしは右端の席をちらりと盗み見た。椅子は空いているけれど、荷物はすでに置いてある。夏のあいだに見慣れた、彼のバッグ。
速まる鼓動をおさえながら自分の席にリュックをおろすと、隣で本を読んでいた由佳子が「冴、おはよ。久しぶり」と笑った。
「久しぶり。由佳子、元気だった?」
「げんきだよ。ていうか、今日遅かったね」
「寝坊したの。目覚まし、セットし忘れてて」
「夏休み明けだもんねー」
他愛ないお喋りをしていると、教室の前方のドアが開いた。
入ってきたのは、土屋くんだった。どくん、と心臓が波打つ。うつむき気味に、まっすぐ歩いてゆく横顔から、目が離せない。
あかるい朝のひかりがふりそそぐ窓際の席に、土屋くんは腰を下ろした。ざわめく喧騒のなか、彼の姿だけがぼうっと浮きあがって見える。
始業式のあいだも、わたしは視界の隅で土屋くんをとらえつづけた。まっすぐ並んだ列から、彼の体の断片が、ときおり垣間見える。
あの黒髪。あの首筋。あの背中。すべて、わたしはふれたことがある。
ゆっくりと、昏い昂奮が湧きあがってくる。
ここにいる人たちは、わたしと土屋くんがそういう関係だなんて、夢にも思っていない。わたしの、わたしたちだけの、ひみつ。
今すぐ駆けよって彼を抱きしめ、いつものように舌を絡ませたら、みんなどんな顔をするだろう。教室へ戻る途中で、そんなことを考えていると、うしろから由佳子に肩を叩かれた。