「校長の話、長かったね」
上の空のまま、「そうだね」と返すと、彼女はだるそうにつづける。
「登校中に暗記したこと、全部ふっとんだよ。先にテストからやってくれればいいのにね」
そうだった、とわたしは思い出す。今日はこれから、夏休みの成果をたしかめるための実力テストが行われる。
教室に戻ると、さっそく問題用紙が配られた。うしろの席の子に回してから前に向きなおると、教室の前方に土屋くんの黒い頭がみえた。登校してから、まだ一度もこちらに視線を向けてこない。
彼はいま、なにを考えているんだろう。ふっとそんな考えが頭をよぎる。目の前のテストのことだろうか。それとも──。
「はじめ!」
教師の鋭い声が、銃声のようにひびきわたった。
「冴、ちょっといいかな」
声が降ってきたのは、机で荷物をまとめていたときだった。
実力テストは、思っていた以上に難しかった。得意科目の英語も、今回はあまり自信がない。ゆううつな気分で帰り支度をしていたところに、真帆に声をかけられたのだった。
「今日これから、なにか予定ある?」
真帆と話すのは、夏休みに瑞枝が帰省していたとき以来だ。
「とくにないよ」と返すと、真帆はおだやかな、けれど有無を言わさない口調で言った。
「話したいことがあって。付き合ってくれない?」
気圧されてうなずくと、彼女はほっとしたように笑った。
「じゃあ行こっか」と促され、並んで教室を出る。一体、なんだろう。歩きながらわたしは考えた。夏休み、銭湯で言いかけた「相談」の件だろうか。
靴を履き替えて校門の外に出ると、真帆は停留所の列に並んだ。バスはほどなくして、坂道のむこうからあらわれた。定期券をかざして乗りこみ、後方の席に並んで腰をおろす。
「冴、なんか雰囲気変わったよね」
バスが走り出してしばらくすると、真帆がぽつりと言った。
「顔つきがしっかりしたっていうか。大人っぽくなった」
白い手がするりとのびてきて、頬にふれる。
「肌も、きれいになったよね。何か使ってる?」
「ううん、特には……」
急に距離を縮めてきた真帆に、わたしは内心おどろいていた。まるで、子どもの頃に戻ったみたいだ。ふたりで手をつなぎ、夢中になって町じゅうで遊びまわっていたあの頃に。
真帆はおだやかに微笑みながら、こちらをみている。なんだか怖くなって、わたしはそっと窓の外へ視線を移した。
雛倉さりえ
1995年滋賀生まれ。近畿大学文芸学部卒。
早稲田大学文学研究科在学中。
第11回「女による女のためのR-18文学賞」に16歳の時に応募した『ジェリー・フィッシュ』でデビュー。のちに映画化。
最新作に『ジゼルの叫び』がある。
写真:岩倉しおり
本作はきららに連載されていた『砕けて沈む』の改題です。
本作品はフィクションであり、実在する人物・団体等とは一切関係ありません。
この文章の無断転載、上演、放送等の二次利用、翻案等は、著作権上の例外を除き禁じられています。
(c)Sarie Hinakura・小学館