美しい写真とわかりやすい文章で日本文化を面白く紹介してくれる、と評判の雑誌『和樂』。今回の大特集は「利休に学ぶ「茶の湯」の美学 千利休、何者ぞ!?」。
利休の美意識に触発された安藤忠雄さんと、モントリオール賞や日本アカデミー賞でさまざまな賞を受賞した映画『利休にたずねよ』にて利休を演じた歌舞伎俳優・市川海老蔵さんの特別対談をはじめ、ありとあらゆる角度から利休について総特集。その中でもWoman Insight編集部が気になったのは「千利休とゆかりの茶人名鑑」。これを眺めていると、当時の武将たちの「人間らしさ」が垣間見えます!
【1】 まずは千利休。商人から茶の湯プロデューサーへの華麗な転身。
名前:千利休
本名:田中与四郎
生まれた年:1522年
初めての茶会:1544年
好きな人:豊臣秀吉
苦手な人:津田宗及
19歳で父を亡くし、以後、父の残した財を元手に商売に精を出し成功。宇治の上林家と契約して茶を一手に卸すなど、実はもとは「茶」にまつわる商売を展開していたんです。茶の湯者としての脚光を浴びたのは、実は織田信長・豊臣秀吉に見いだされた晩年。茶道具・茶室などにも才能を見せ、天下人のイベント茶会をプロデュースし、武将たちから尊敬を得ました。
【2】織田信長は茶の湯さえも権威の再構築に使用していた!
名前:織田信長
生まれた年:1534年
初めての茶会:1573年11月23日
好きな人:上杉謙信
苦手な人:足利義昭
言わずと知れた超有名武将。桶狭間の合戦で今川義元を討ち果たしてからは一躍スターダムへ。早くから堺に注目し、宣教師とも交流し、南蛮貿易にも興味を示し、実は黒人を側近にしていたなど、グローバルな方。茶の湯も趣味と実益を兼ねて積極的に取り入れ、京都と堺で「名物狩り」と呼ばれる茶道具の収集を行いましたが、これはあくまで室町将軍権威の再構築。独り占めせず、戦功のあった家臣に大盤振る舞いしたとか。
【3】「本能寺の変」で知られる明智光秀は、実は文化人だった!
名前:明智光秀
生まれた年:1528年
初めての茶会:1578年正月11日
好きな人:津田宗及
苦手な人:豊臣秀吉
本能寺の変で織田信長を討伐したものの、11日で天下は終了した明智光秀。もとは信長に仕えており、才能を発揮して織田軍団において出世を果たしました。信長より堺町衆との交渉役を任され、その中で千利休などとともに茶湯の天下三宗匠と称せられた津田宗及と懇意になり、茶会へ出席していました。茶の湯はもちろんのこと、その他諸学に通じ、和歌をも好んだ、当時には数少ない文化人でした。
【4】茶の湯を一大イベントにしたのはやっぱりこの人、豊臣秀吉!
名前:豊臣秀吉
生まれた年:1537年
初めての茶会:1577年8月26日
好きな人:織田信長
苦手な人:柴田勝家
信長に仕えたところからスタート。信長の草履を懐であたためたとか、墨俣白を一夜で築いたとか、なにかと伝説の多いスーパースター。信長没後にあっというまに天下人となりました。茶の湯も大好きで、大阪城茶会、禁裏茶会、そして京都をはじめ、堺・奈良からも1000人もの参加者が駆けつけた北野大茶湯など、さまざまなイベント茶会を利休とともに繰り広げた人でした。
当時の茶の湯は「優雅な趣味」ではなく、茶会や道具が政治的な駆け引きにも利用されるものでした。その後、利休が秀吉の逆鱗に触れたために自害させられたエピソードなど、茶の湯にまつわる人間ドラマは多数。事実は小説よりも奇なりと言いますが、知れば知るほど興味深い世界が待ち受けていそうです……!(後藤香織)
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