平成の歌姫・浜崎あゆみさんの大恋愛とは? 10月11日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系・毎週金曜20時57分)は特別編として、8月に発売して以来累計発行部数16万部の大ヒットとなっている「M 愛すべき人がいて」の著者・小松成美さんが浜崎さんの大恋愛を明かします。
同番組は、女性のストレス発散バラエティ”という新たなエンターテインメント番組としての礎を築き上げ、MC・中居正広さんの絶妙なトークや女性目線の人気企画など、女性の欲求に応え続け、幅広い層から絶大な支持を得ています。
今回の執筆の経緯は、浜崎さんサイドからの「浜崎あゆみというシンガーが誕生した軌跡をファンの方たちに届けたいと」いうオファーだったそう。
かつて全く売れないタレントだった浜崎さんが、数々の社会現象を巻き起こす歌姫へと駆け上がる裏側には、ある一人の男性との「禁断の愛」が。その人とは、音楽事務所最大手・エイベックスの創始者であり、超有名音楽プロデューサーの松浦勝人さん。
2人の出会いは、当時六本木にオープンしたばかりのアジア最大級のディスコ「ヴェルファーレ」の上階にあるVIPルーム。そこでの運命の出会いで、彼女のその後の運命が変わったといいます。
1995年、東京でタレント活動をしていましたが、ドラマのエキストラやグラビア撮影ばかりだった浜崎さん。大手の事務所に所属していたものの、全く売れない無名タレントでした。
福岡で生まれ育った浜崎さんは、幼い頃に両親が離婚。その後、地元で芸能界へスカウトされたものの、大きな仕事は銀行のイメージガールに選ばれたのみ。「母親の負担を減らしたい」と中学卒業と同時に仕事を求めて家族で上京しましたが、タレントとして芽が出る気配は一向になかったそう。
そして、17歳になっても売れる気配は一向になく、所属事務所と契約を解消。タレントとしての道が完全に潰えてしまったとか。
そんな中、エイベックスへ誘ってくれたのが松浦さんでした。歌などまともに教わったことがないため必死に断る浜崎さんに対し、松浦さんは「大丈夫だ、俺を信じろ! 俺がお前を歌手にする!」と言ってくれたといいます。
この松浦さんの言葉により、浜崎さんはエイベックスで再デビューすることが決定。歌手「浜崎あゆみ」が誕生し、2人によって数々の大ヒット曲が生み出されます。
しかし、これから歌手として芸能界で闘っていかなければいけない中、松浦さんへの恋心をこれ以上隠し続けることに限界を感じていた浜崎さんは、松浦に本名を添えて自身の想いを綴ったFAXを送付。
その翌日、松浦さんは浜崎さんが母と暮らす家を訪れ、「あゆみさんと付き合っています。真剣です!」と、母親に向けて突然の「交際宣言」。その後、浜崎さんを連れ出し、彼の地元である横浜で正式に告白したそう。
こうして2人は、浜崎さんのCDデビューと同時に交際をスタート。そしていよいよ、平成の歌姫「浜崎あゆみ」旋風が日本に巻き起こるのです。
それからの浜崎さんは新曲をリリースする度に売り上げの順位を伸ばし、ファーストアルバムでついにオリコンチャート1位を獲得。歌手・浜崎あゆみとプロデューサー・松浦さんによって日本の音楽界には大きな波が生まれ始め、2人はまさに、時代の寵児になろうとしていました。
そして、浜崎さんが20歳の時、9枚目のシングル「Boys & Girls」で100万枚という初のミリオンヒットを叩き出し、紅白にも初出場。浜崎さんは誰もが知る「国民的スター」へ。しかし、その一方でこの想像をはるかに超えた大ヒットが2人を破滅へと導くことに。
2人で作り上げた「浜崎あゆみ」というモンスターは、アーティストとしてこれ以上ない大成功を収めましたが、浜崎さんを一人の女性として幸せにすることを許さず…。結局、2人は破局。後日、松浦さんから浜崎さんの元へ一本の電話が入ります。
「あゆ、俺さ、これからは音楽制作だけに専念することにしたよ。ハワイに住んで向こうのスタジオで楽曲を作るよ」。
この連絡を最後に、「M」と登録された携帯番号が鳴ることはなく、そこから数日間、涙が枯れるまで浜崎さんは泣き続けたそう。
そんな深い悲しみも歌うことで乗り越えてきた浜崎さんもデビューから20周年を迎えることに。「浜崎あゆみ」が今でも歌い続ける理由とは――?著者・小松さんが明かす、浜崎さんと松浦さんから聞いた真実が明らかになります。