【期間限定公開】『もう二度と食べることのない果実の味を』第24話

17歳で「女による女のためのR-18文学賞」で鮮烈なデビューを飾った作家・雛倉さりえさんの最新作『もう二度と食べることのない果実の味を』(通称:たべかじ)が4月16日に刊行されました。CanCam.jpでは大型試し読み連載を配信。危険な遊びへ身を投じたふたりの運命、そして待ち受ける結末とは……。

*第23話~28話(最終話)は、掲載日から2019年5月14日(火)までの期間限定公開です。

「たべかじ」連載一覧

【期間限定公開】『もう二度と食べることのない果実の味を』第24話


もう二度と食べることのない果実の味を

 その日、鈍い頭痛で目が覚めた。

 波のように寄せては引いてゆく、なだらかな痛み。真冬にもかかわらず、手には汗がにじんでいる。

 最近、寝不足気味だったせいだろうか。重たい体を引きずってセーラー服に着替え、厚手のカーディガンをはおって階下におりる。

「……でも、あとどれだけ保つかわからないんでしょう」

 リビングに入ろうとしたとき、押し殺したような母の声がきこえた。

「条件も今ならそう悪くないんだし。このまま残って働きつづけても、潰れたらもうどうしようもないのよ。家にいるのが嫌なら、またどこかのお店で働いても──」
「ふざけるな」

 さえぎるように、父の怒鳴り声が響いた。

「そんな、俺ひとりだけ逃げるようなみっともない真似できるか。何年働いてきたと思ってるんだ」

 とつぜんの大声におどろいて、思わず一歩あとずさった。その拍子に、床板がぎしりと軋みを上げる。

「冴? いるの?」

 顔を覗かせた母に、わたしはたった今おりてきたふうに装い「おはよう」と返した。
 ダイニングで新聞を広げた父は、こちらを一瞥すると、ふたたび新聞に視線を落とした。

「最近どうだ。受験勉強は捗ってるか」

 投げつけるように訊かれ、わたしは口ごもった。ばさりと新聞をめくって、父はつづけた。

「いいか。ぎりぎりまで手を抜かず、最後まで粘れ。とにかく上の高校をめざしていけよ。絶対に損にはならないんだから」

 わたしはうつむいたまま頷き、トーストを齧った。母が無言で父のコップに麦茶を注ぐ。

 ぴりぴりした食卓の空気から逃げるように食事を終えてすぐ洗面所に向かった。いつものように前髪をピンで留めて顔をあげた瞬間、わたしは息をのんだ。

 顔面のあちこちに、真っ白なにきびができていた。とくに酷いのは額だった。大小いくつもの出来物が、ぷちぷちと蝟集して生えている。

 いびつに肥大した皮膚のなかには、それぞれ脂肪の核が白く浮かんでいた。なにかの虫の卵みたいだ、とぼんやり思う。周囲を赤く腫らしながら孵化のときを待つ、白い卵。

 爪の先で、とくに目立つ生え際のにきびにふれてみた。皮膚の先端から突きでている脂肪の一部をひっぱる。すると、かすかな手ごたえとともに、皮下に埋まっていた芯がずるりと姿をあらわした。熟しきらない、とろとろとした、醜いバター状の芯。

 さわらなければよかった。後悔する間もなく、じわりと大粒の血が湧いてきて、傷口を円くみたした。

 

 

 

「どうしたの? また寝坊した?」

 学校に着いたのは、始業の直前だった。自分の机に荷物をおろしていると、隣の由佳子が話しかけてきた。

「ううん、バスに乗り遅れただけ」
「へー、珍しいね」
「ぎりぎりでも走って行ったら乗せてもらえるんだけど。今日はなんか怠くて」

 家の前の急な坂道が、なぜか今日はおそろしく長く、けわしく延びてみえたのだ。これまで毎日、平然と駆けのぼっていたのが嘘みたいに。

「それ、風邪じゃない? 最近流行ってるし」
「そういう感じでもないんだけど……」

 がらりとドアがあいて、担任の教師が入ってきた。「お大事にね」とささやいて、由佳子は前に向き直った。わたしはぼんやりと頬杖をつき、窓の外を眺めた。

 咽喉の痛みも鼻水もない。なのに、寝起きからつづく頭痛は、まだ治まらない。思考にもうすく紗がかかったようで、教師の声にもいまいち集中できない。

 風邪でもないし、単なる寝不足でもない。この感覚を、どこかでわたしは知っている。なんだろう、としばらく考えて、ふと気づいた。そうだ。この感じ、生理中の状態にひどく似ている。

 でも今月はたしか、まだだったはずだ。

 あれ、とわたしは首をひねった。最後に生理がきたのは、いつだっただろう。思いだそうとしても、全く浮かんでこない。少なくとも、一ヶ月は経っているはずだ。

 わたしはリュックからポーチとスマートフォンを取りだして、こっそりカーディガンのポケットに入れた。朝礼が終わると同時に席を立って、廊下のつきあたりのトイレをめざす。

 個室に入ったわたしは、ポーチから取りだしたナプキンを下着につけた。いつきてもいいように、こうして対策はできるけれど、周期がわからないのはやっぱり不便だ。この機に、予測管理できるアプリを入れておこうと、便座に腰かけたままスマートフォンを取りだす。

 検索欄に「生理 周期」と打ちこむと、画面いっぱいにずらりとサイトが表示された。『平均的な周期』『おすすめ管理アプリ』などのタイトルをスクロールさせてゆくうち、ふと、ひとつの記事に目が留まった。

『生理がこない? 主な原因と対処法について』

 医療系のサイトが運営する、ブログ記事だった。

『まず疑われるのは生活リズムの乱れや、ストレスです。夜更かし、喫煙などの習慣は、ホルモンバランスの乱れにつながります』

 文章を読みながら、最近の生活を思い出す。早寝早起きは心掛けているけれど、受験勉強のストレスがたまっている自覚はある。

 読み進めてゆくと、記事の最後の項目に、目が留まった。

『上記以外の場合、妊娠の可能性があります。まずは市販の検査薬でチェックしてみましょう』

 その瞬間、一時間目のチャイムが鳴り響いた。